フェイクニュースに騙されないために ── 読者の技量、そして生じる責任
THE PAGE
インターネットが一般に普及し始めてから約20年が経ちます。キュレーションやブログ、SNSなど「流通」のテクノロジーが劇的に進化し、これに呼応するように新興企業や個人など「生産」を担うメディアの数も激増しました。ネットのテクノロジーの恩恵を誰もが普通に受けられるようになったものの、不安も多く生まれています。インターネットのメディアはどこに向かうのか。『「ポスト真実」時代のネットニュースの読み方』(晶文社)を出版した報道イノベーション研究所の代表を務める松林薫さんに話をうかがいました。
問題対処のための制度を作っていく段階に
ネットメディア以前の話として、ここ1~2年でインターネットの世界自体が大きく変わりつつあり、新しいフェーズに入っている。インターネットは95年が元年と言われているが、それまでは技術者、研究者ら専門的な知識を持っている人のものだった。新大陸の発見のようなものだった。 その後、インターネットの世界に移動してきた人たちは、既存の社会ではみだした、いわばサブカルのような“尖った人たち”だった。そこに可能性を見出すフロンティアがあったからだ。たとえば著作権をめぐるような問題もあったが、そこには自由があり、インターネットは成長していった。 2010年あたりになると、そこでビジネスができるのではないかと一般の人たちもネットに移動し、急成長を遂げた結果、さまざまな問題に対処するための制度を作っていかなければならない段階に来た。
かつて許されていた自由はもう通用しない
WELQ問題やフェイクニュースといった騒動もそういう問題で捉えている。フェイクニュースも詐欺サイトも今に始まったものではない。それまでもニセの情報、ヘイトはいくつでもあったが、既存の秩序で裁かれてはこなかった。経済規模を持ってしまった以上、かつて許されていた自由、無秩序は既存の枠組みからはずれてはやっていけなくなったということだ。 たとえば写真の盗用はネットの世界だからと、大目に見られていた部分があったが、そうではなくなってきた。そういう変化は、今後、加速していくだろう。 フェイクニュースもヘイトも昔からあったが、フェイスブックやグーグルも既存の秩序に組み込まれ、(真偽が不確かな情報を放置していることに対し)「それでいいのか」ということが問われている。「我々は、ニュースを製造しないプラットフォームだから」と主張しているだけではすまなくなっているということだ。インターネットメディアはサブカルチャーではなく、メインストリームに組み込まれてしまったということを意味している。 私たちは、フェイクニュースが怖いとか、秩序が崩されているという感覚を持ってしまうが、実は逆だろう。これからは既存の秩序に準じた形での「お行儀のいいメディアになってくださいね」という圧力が急速に高まってくるだろう。著作権の問題も、かつてネットで許容されていたほど自由にできなくなる。個人が立ち上げているメディアでもそれが問われるようになる。