「数字よりフルスイング」“身長2m、体重100kg”巨人・秋広優人が“決意の宣言” 思い出すのは“満塁男”駒田徳広…王貞治の教え子が語る秋広への助言
「俺はうまくなっていなかったんだ」
しかし1年後の85年4月に二軍落ちしたことを契機に荒川道場通いは終わった。 駒田監督は当時を振り返ってこう語っている。 「周りから色んなことを言われていたけど、やり続ける中で自分の中ではうまくなっていると思っていたし、信じてもいた。でも二軍に落ちたときに、ずっと1年間かけてやってきたのに、始める前より下のラインに落ちたという現実を突きつけられた気がしたんですね。俺はうまくなっていなかったんだって思ったんです」 野球がうまくなるためにやってきたのに、うまくなっていなかった。 「それなら考えを変えなくちゃいけないなと思って、荒川さんのところに通うのを止めました」 王監督に40本塁打を打てるスラッガーとして見込まれて、育成しようとされたが、結果的に選手・駒田はそういうタイプの打者には育たなかった。ボールを飛ばす才能はあったが、伸び幅があったのはそこではなかった。もちろん本塁打も打てるが、基本は器用なバットさばきで外野手の間を抜いていくアベレージヒッターとなることが選手・駒田の生きる道だったのである。 結果として巨人で11年間、横浜で7年間、合わせて18年のプロ生活で91年の3割1分4厘を最高に5度の3割をマーク。長打も92年の27本を最多に195本塁打、357二塁打を放ってベストナイン(98年)も受賞する選手へと成長していったのである。 「あれだけバットを振った経験もないし、あんなに集中して練習したこともない。足を上げて打つということの優位性も初めて知ったし、決して無駄ではなかったと思っています」 荒川道場での経験を駒田監督はこう語る。 “世界の王”の期待を背負いながら、そんな経験をしてきた駒田監督だからこそ、秋広のこともぜひ聞いてみたかったのである。 「僕は秋広は去年(23年)、一瞬掴んだと思う。でもそれが今年はうまくいかなかったのは、秋広自身のせいだと思うんです」 そんな秋広に駒田監督は自らの経験も踏まえてこうアドバイスする。 「だとしたら阿部監督に怒られるかもしれないけど、いきなり30本、40本とか考えるんじゃなくて、そういうバッティングを目指すんじゃなくて、まず20発打ってみ、ということだと思うんですね」
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