映画館にシニア呼び戻す「ベルモンド作品」の魅力 仕掛け人の江戸木純氏が語った企画の経緯
ジャッキー・チェンを『酔拳』や『蛇拳』でブレイクさせたのもウー・シーユエンだし、その後ジャン=クロード・ヴァン・ダムを『シンデレラ・ボーイ』で起用したのも、ツイ・ハークのデビュー作と2作目をプロデュースしのもウー・シーユエン。 香港でウー・シーユエンといったら雲の上の人。香港映画監督協会の会長をずっとやっていて、今も名誉会長で。香港で映画をつくっている人たちの中のトップ中のトップなんですよ。 今、上映のためにいろんな人からコメントをもらっているところなのですが、倉田さんは海外の人たちとの関係がいまだに続いているんですよね。
サモ・ハン・キンポーとは毎日電話で話してるなんて言ってましたけど。ツイ・ハークとか、ジョン・ウーとか、みんな仲がいいんですよね。要するに向こうですごく尊敬されている存在なんです。 ――ベルモンド作品も、倉田さんの『帰って来たドラゴン』も、観ていて映画の楽しさを思い出させてくれる映画だなと思ったのですが。 そういう昔の熱気を今の時代にもう一度取り戻せないかという気持ちはありますし、と同時に、昔できなかったことを実現したいということもあって。
■ドラゴンブームで埋もれてしまった 例えばベルモンドの『おかしなおかしな大冒険』は50年前に公開されているんですが、1974年になぜこの映画が当たらなかったのか。その背景には実はドラゴンブームがあるんです。『おかしなおかしな大冒険』は1974年の6月公開なんですが、ブルース・リーの『燃えよドラゴン』が1973年の12月公開なんです。 しかもその前は『エクソシスト』でオカルトブームがあって。その後にドラゴンブームが来て、その年の後半にパニック映画ブームが来るわけです。
そういう殺伐として強烈な映画がどんどん公開される中で、こうした陽気でナンセンスな映画は埋もれてしまったんですね。 そういう意味で、そうした時代背景を全部とっぱらった今だからこそ、『おかしなおかしな大冒険』と『帰って来たドラゴン』が続けて新宿武蔵野館でかかるということに意味があるんだと思っています。 後編は6月29日に公開予定です
壬生 智裕 :映画ライター