捕手で磨いた「回転軸」 ソフトバンクドラ1右腕・村上泰斗、高校から投手転向→最速153キロ
【新人連載・飛翔!2025shニューパワー①】
ホークスの将来を担うドラフト指名選手の歩みや横顔を紹介する「飛翔! 2025shニューパワー」がスタートします。第1回は1位の村上泰斗投手(17)=兵庫・神戸弘陵高=です。兄の背中を追い続け、小さい頃から捕手一筋だった村上が投手に転向した理由。スカウトからの評価が高い球の回転数を呼んだものとは。最速153キロ右腕の素顔に迫ります。(敬称略) ■捕手を務めていた中学時代、気合が入った表情の村上【写真】 一番身近にいたヒーローの背中を追い続けた。5人きょうだいの末っ子。物心ついた時には3人の兄たちは野球に打ち込んでいた。小学校入学前から両親に連れられてグラウンドへ。常にボール遊びをしていた村上にとって、野球以外の選択肢はなかった。 5歳年上の次男・彗斗(22)=けいと=に憧れた。兄は野球を始めた時から捕手一筋。村上もつられてミットと防具を身に着けた。ただ、小学校のチームのコーチを務めていた父・高広(52)は「他の子たちは捕手を嫌がってたので『盗塁を刺すのはかっこいいで』『ずっとボールを触れるで』って言い聞かせて、うちの子どもにやらせていただけなんですよ」と明かす。 上級生に交じって試合に出場していた村上は小学生の頃から肩が強く、当時から遠投は80メートル近く投げられた。投手が投げる球より村上の返球の方が速いほどだった。 小学4年の頃から試合の終盤でたまにマウンドに上がった。思い切り投げた球を打者が空振りする。「自分の力で勝敗が分かれるのは楽しかった」。これまで味わったことがなかった喜びを感じ、ひそかに投手へと心が引かれ始めた。 小学生の頃から父に「気にしろ」と言われ続けてきたことがある。それはきれいな縦回転で送球すること。捕手から二塁へ送球した際に回転軸が斜めだと、バウンドしたボールが曲がってしまい、二塁にカバーに入った選手が捕りづらくなるからだ。兵庫の強豪・社高に進学した彗斗が寮から帰省してくるたび、キャッチボール相手になってもらい回転軸をチェックしてもらうのは楽しみだった。 中学進学後に入った硬式の箕面ボーイズではなかなか試合に出られなかった。「なんで出られへんねん」。試合後、送迎の車中で村上はだいたい不機嫌。高広は「腐らんと一生懸命やっていれば見てくれる人はおるから」となだめた。小さい頃から負けず嫌いな村上は人一倍努力した。時間を見つけて坂道を走り、素振りをするなど黙々と練習。だが、最後までレギュラーにはなれなかった。 投手転向は突然だった。無名のまま神戸弘陵高へ。監督の岡本博公も「正直、入学当時は記憶にない。その他大勢の中の一人だった」。ただ、入学前に133キロを出していた。「投手をやってみるか」。岡本の提案に村上は迷わずうなずく。入学に伴って購入した捕手用のミットと防具一式は結局一度も使わなかった。 そこから投手としての才能が芽を出し始める。2年春の練習試合で最速152キロを計測。関西地区を担当するソフトバンクアマスカウトの稲嶺誉も「最初は育成でいけるかなという感じだったけど、見るたびに成長した」。プロ野球選手になるという村上の夢は「ドラフト上位で指名される」という目標に変わった。 「これがスタートだと思って頑張りたい」。ドラフト1位指名も慢心はない。将来のエース候補右腕はまだまだ成長し続ける。(大橋昂平) 村上 泰斗(むらかみ・たいと) 2007年2月20日生まれ。兵庫県猪名川町出身。白金小1年から「白金メッツ」で軟式を始める。猪名川中では「箕面ボーイズ」でプレー。中学までは主に捕手。神戸弘陵高に進学後、本格的に投手を始めた。甲子園出場なし。今夏の兵庫大会では3回戦で西宮今津高に敗れるも、2回を投げて打者6人に対して5三振を奪った。180センチ、74キロ。右投げ両打ち。背番号20。 【#OTTOソフトバンク情報】
西日本新聞社