職安で探した「水産会社」、年収は1000万円を超えて…すしざんまい社長が司法試験を諦めた理由
水産の仕事はすごく面白くてね。当時は不思議なことに、魚の切り身でも小さいものは平気で捨てられていました。お弁当のおかずに使えると思ったので、白身魚の切り身をフライにして販売したり、不要とされるイカの耳を練り物に加工して売ったりと、色々な工夫を重ねました。そのたびに成功して売り上げが伸びるので、どんどん面白くなっていったんです」
ただ、水産の仕事にのめり込んだ分だけ、司法試験の勉強時間は削られてしまった。
「進路に悩み、大学の教授に相談しにいきました。『先生、弁護士はどれくらいもうかるんですか』と尋ねると『4、500万円くらいかな』と答えます。『月にですか?』と聞いてみたら、『年収だよ!』と言われて驚きました。だって、当時の私は水産の仕事がうまくいって、すでに年間1000万円は稼いでいましたから! これがきっかけとなって司法試験は諦(あきら)めました。水産の仕事に専念することにして、27歳で独立を果たします。大学の勉強も少しずつ続けて、同じ年に7年かけて卒業することができました。
パイロットや司法試験合格の夢は実現しませんでした。でも、24時間営業の「すしざんまい」を始めた時は、従業員のシフトを組むのに3交代制で勤務をする自衛隊時代のノウハウが生きました。司法試験の勉強で磨かれた記憶力は、独立後もお客さんの顔や連絡先を覚えておくのに役立ちました。無駄なことなんて一つもありませんでした。
子どもの頃、マグロを分け合って食べさせてくれた母は2005年に94歳で亡くなりました。亡くなる前、病院にマグロを持っていったことがあるんですが、そのときも母は同じ部屋の患者さんや看護師さんにマグロをお裾(すそ)分けしてました。『みんなで分け合って食べればおいしい』。私はその気持ちをいまも忘れずに働いています」