「インドの超富裕層」は桁外れ…ダウン症のある娘との世界一周旅、飛行機での奇跡の出会い
親日家が想像よりも多かったインド
翌朝、私たちはインド最大の世界遺産「タージマハル」を見るため、アグラへ向かう急行列車を待つ駅のホームにいた。ぎっしり埋め尽くす人の波に飲まれそうになりながら、列車を待っている私たちのもとへ、女性や幼い子どもまでが歩いてきてはお金を恵んでくれと両手を重ねて差し出してくる。昨夜との格差はどう捉えれば良いのだろうか。 娘に「どう思った? お金を出すべきだと思う?」と問うてみると「出さないでしょ。困っているのは分かるけれど、いきなり手を出してお金をくださいって言われたら、私だって困ってしまうよ。もっと他の方法にしてほしいよ、私も困っちゃうから」と言った。 アグラに到着すると、娘が「アラジンとジャスミンみたいな服を着たい」というので、ガイドさんに案内してもらい、サリーを着てタージマハルへと向かった。 タージマハルに着くや、大勢の現地インドの人々が「一緒に写真を撮って欲しい」と私たちに声を掛けてきてくれた。サリーを着ているせいかなと思ったが、ガイドさんに聞けば、ここでは日本人は珍しく、インドの人は日本人のことをとても尊敬していて、親日だと言う。 一緒に写真を撮る際に彼らはもとても礼儀正しくて、好意的であることがよく伝わってきた。実は、私は最初、声を掛けられた時、警戒してしまっていたのがだが、娘は、一緒に写真を撮ろうと言ってくれたことがとてもうれしかったようで、「Yes~! いいですよ~♪」と笑顔でセルフィーにも積極的に応えていた。全く壁のない娘のフレンドリーな対応には、やっぱり毎回驚かされた。 その後、厳しい暑さで私たちは熱中症になりかけ、すぐにツアーの予定を変更してもらい、冷房の効いたレストランへと向かってもらった。でも、食事をしながら娘の様子を見ていると、これ以上、外に滞在することは無理だと判断し、ガイドさんにこの後の予定を全てキャンセルし、帰りの列車の時間までツアー会社の事務所で待たせてもらえないかと相談した。 ガイドさんは、「え? 他にも見どころがあるのに行かないの!?」と驚いていた。 「せめて『アグラ城』くらいは見に行かないか?」と何度も確認してくれたが、子連れで長旅をしている私たちにとって、娘の健康は最優先で、無理をさせないと決めていたため、迷いなくキャンセルしてもらった。 こうして、無事にニューデリーへと戻ってくることが出来た私たちは、翌朝、後ろ髪を引かれる想いで、インドをあとにした。 次の訪問地、ドバイへ向かう飛行機の中で、娘と「インドで人々が優しく接してくれたように、日本でもインドの人がいたら優しく声を掛けたいね」と、そんな話をした。バラナシ、ガンジス川での体験や、タージマハルでの人々との交流、機内でのご夫婦との出会いに感謝し、気付けば、インドの魅力に取り憑かれ、インドのことが忘れられない自分がいる。 思い返せば、現地を案内してくれたガイドさんたちの影響も大きいと思う。非常に勉強熱心で、サービス精神も旺盛。中には日本語を学ぶために週半分以上、長時間列車に乗ってニューデリーまで学びに行っているという日本語の上手なガイドさんもいて「インドを知ってほしい」という気持ちがものすごく、ひしひしと伝わってきた。前回ベトナムの記事でも触れたが、こういった学びのハングリー精神は私の中では日本で感じられるレベルとは違っていた。 インドに到着した当初は、慣れない環境、インドについて無知から来る不安や緊張でいっぱいだった私だが、その分、インドを知れば知るほど、現地の人と触れれば触れるほど、私の中でインドの印象に対するプラスの面がどんどん大きくなっていった。 今もなおグルガオンでおもてなしいただいたご夫婦とのやり取りは続いている。 また世界のどこかで、いや、きっと近いうちに私はまたこの国を訪れるのだろうと思う。もちろん娘と共にーー。
長谷部 真奈見(フリーアナウンサー)