「大好きな暮らし」を捨ててもなんの問題もなかった。捨てたら入ってくる絶対法則、私の場合【エディター昼田祥子】
こんにちは、エディターの昼田です。 東京に戻ってちょうど1年。今だから言えることですが、山形から東京に戻ってこなければいけない理由など一つもありませんでした。なのになぜ? ほんと、理由なんてないんです。ただの直感。そろそろ戻った方がいいなという自分の感覚に従っただけ。 【着こなし画像】シンプルなのにこなれてる! 昼田祥子のコーディネート一覧 なんて身勝手な人なんだ。自分でも思います(笑)。 初めての雪国暮らしは想像以上に寒かったけれど、寒いからこそ味わえるものや美しさがあるのだと知った2年半。 そんな「山形での暮らし」を捨てようと思ったのは2023年に入ってすぐ。 シングルならともかく、当然家族を振り回すことになる。主夫として家を守る夫はまだしも、娘は転園しなければいけないし、環境を大きく変えることはいつだって勇気が必要です。 決して雪国暮らしに飽きたからではなく、むしろ山形のいいところをたくさん知っているからこそ決断しきれないわけです。東京に戻らなければいけない明確な理由もないわけで。このまま住み続けてもなんの問題もないのだ。こういうときこそ人は変化を嫌う生き物ですから「引き止めようとする(現状維持しようとする)思考」が働きます。それは、「住まい」でも「服」でも同じです。 大好きでよく着ていた服。 あのときの大切な思い出のある服。 捨てて変わろうとする自分を引き止めようと、思考が猛烈に足を引っ張ってくるんです。
そして、思考は暴走して「恐怖」や「不安」を見せてくるんです。 私の住まいのケースだと、転園してしまったら娘にとっていい幼稚園が見つからないかもしれない。新しい幼稚園で嫌な思いをすることになるかもしれない。東京のママ友付き合いって難しそう。今よりいい家に出会えるかわからない。狭くなって今より窮屈な暮らしを送ることになりそう。 こんな感じで「〇〇になってしまいそう」という起こってもない現実を、あれもこれもと思考が見せてくるんです。 服の場合だと、捨ててしまったら後悔しそう。捨てたら明日から困りそう。毎日が楽しくなくなりそう。何か失われた感じがしてしまいそう。