五木ひろし 独立時の葛藤明かす「あえて大変な独立を選んだ」ワケ「結果的には金銭的な部分で全てを解決」
演歌歌手の五木ひろし(76)が8日放送のBSフジ「昭和歌謡パレード」(水曜後10・00)に出演。独立での葛藤について語った。 五木は1965年、松山まさるの芸名で歌手デビュー。その後、一条英一、三谷謙と改名を繰り返し、1970年に“五木ひろし”として「よこはま・たそがれ」で再デビュー。当時からキックボクシング事務所をベースとした「野口プロ」に所属していたが、1979年に独立することに。 「いろいろ言い合ってはいたんですよ。“こうしてほしい”とか、“ああしてほしい”とか、それがうまく進まずに、僕自身のこれから先を考えた時に、このままでいったら沈んでいくと。危機感を覚えたんですよ」と五木。「それは過去のことがいろいろとあるから。やっぱり怖さがあるんですよね。歌手っていうのはヒット曲を出さなきゃいけないから。そうするとこのままではいけないから、いろいろと話をしてきたんですけれども、最終的には独立せざるを得なくなったんですね」と独立時の心境を吐露した。 MCの中山秀征から「独立っていうのは勝負ですから、かなり怖い勝負でもありますよね」とたずねられると、五木は「大変ですよ」と即答。「恩を受けた、僕を育ててくれたところから出るんですから。大反対もありましたし、いろいろなことがありました」と回顧。「結果的には金銭的な部分で全てを解決したんですけど。それで負けてたら大変なことになってたし、僕は勝負に勝った」とした。 「僕が納得できるような形で独立しましたから。金銭的なことも含めて、チャンチャンで終わりましたから」と五木。「だから、背中は借金だらけですよ。家を建てたばっかり。そこで借金背負って。独立でまた借金背負って。二重苦…でも、大変だって言う思いは僕の頭の中にはなかった。銀行から初めて僕、お金を借りて。田園調布に家を建てて。しかも安いものじゃありませんから。そこへ来て、独立でまたそれ以上のお金を出して。それを背負って、社員はいるし、全部抱えてますから」と振り返った。 独立後、第1弾となったのが代表曲「おまえとふたり」だった。「木村好夫さんの作曲なんですけど、ツアーでずっとギターを弾いてくれていたんですけど、“そんなにギター弾けるんだったら、たまに曲作ったら?”って僕が言ったんです。それで曲が出来上がって、作詞家に詞をはめてもらって、出来上がったんです。これがなんと、ランクイン。あれよ、あれよという間に、『ザ・ベストテン』で初の1位になったんです」と回顧。「おまえとふたり」に続き、「倖せさがして」「ふたりの夜明け」が幸せ三部作と言われ、「(幸せ三部作で)トータルで200万枚以上売ったんですよ。それで全部終わりました」と笑った。 あらためて「だから、勝負は勝った」とキッパリ。「(独立は)自分のためですよ、歌手五木ひろしの為に、それは危機だと。ここを乗り越えなければいけないということで、あえて大変な独立を僕は選んだんです」と胸を張った。