アルピーヌ・ルノーA110はWRCの初代チャンピオンマシンだった!?『モーターファンフェスタ2024』を振り返る
2024年4月21日(日)に富士スピードウェイ(静岡県)で開催された『モーターファンフェスタ2024(以下、MFF)』では、さまざまなクルマを多数展示。ルノーブースでは最新のアルピーヌA110シリーズと合わせて、そのルーツであるA110も合わせて展示していた。実はこの"初代"アルピーヌA110は、WRCの初代チャンピオンマシンであることはご存知だろうか? そんなアルピーヌA110を展示車両と共に振り返ってみよう。 【画像】これが元祖!『モーターファンフェスタ2024』に展示されたアルピーヌA110!
アルピーヌブランド小史……レーシングコンストラクターからルノーワークスへ
アルピーヌブランドの始まりは、フランスのルノーディーラー経営者ジャン・レデレが1955年に設立した、ルノー車のチューンナップや競技車両を開発・販売する会社だった。1956年に4CVにFRPボディを架装したしたA106、1959年にドーフィンをベースにしたA108(1959年)、そして1963年にはR8をベースにしたA110(1963年)を発売。モータースポーツ業界において確たる地位を築くことに成功した。 転期となったのは1973年。元々ルノーと関係の深かったアルピーヌはレデレのオーナー会社からルノー傘下となり、アルピーヌ・ルノーに生まれ変わる。ルノーは1969年にアルピーヌと同じくルノー系チューニングメーカーであるゴルディーニを買収しており、1976年にはゴルディーニとアルピーヌを統合したルノーのスポーツ部門「ルノー・スポール」を設立。 とはいえ、ルノー・スポールの本拠地はアルピーヌ本社のあったディエップに置かれ、ここでアルピーヌがルノーのスポーツモデルやルノー・スポールグレードを生産する体制だった。 そして2021年、ルノーはルノーのスポーツ部門をアルピーヌに統合。現在に至っている。
傑作ラリーカーに成長し世界の頂点へ
1963年にリリースされたA110は、バックボーンフレームシャシーにFRPボディを架装。1.0L水冷直列4気筒OHVエンジンをリヤオーバーハングに搭載しリヤタイヤを駆動するRR方式はベース車のR8に由来する。元々軽量なR8(725kg~826kg)だが、FRPボディのA110もその軽さを受け継ぎ、後に1.6Lエンジンを搭載したモデルでも730kg~850kg程度と言われている。 これまでのA106、A108に続きA110もモータースポーツで幅広く活躍することになるのだが、その中でもやはりラリーが出色の成績を残している。 1966年にグループ4ホモロゲーションを取得すると、その軽量さとRRのトラクションを武器に各地のラリーで勝利を重ねていく。1971年にWRCの前身となる国産選手権のモンテカルロラリーでは前人未到の1-2-3フィニッシュを飾った。 そして1973年、A110は1.8Lエンジンを搭載。1.6Lモデルと合わせて500台以上を生産。グループ4のホモロゲーションを更新し、さらに競技専用の1.8Lのホモロゲーションモデルを5台用意して、ついにスタートした世界ラリー選手権「WRC」に投入する。 斯くしてアルピーヌ・ルノーA110は1973年に始まったWRC全13戦のうち11戦にエントリーし、モンテカルロ、ポルトガル、モロッコ、アクロポリス(ギリシャ)、サンレモ(イタリア)、ツール・ド・コルス(フランス)で6勝を挙げた。最終的に147ポイントを獲得して見事初年度の王者に輝いている。 アルピーヌ・ルノー以外ではフォードが1000湖(フィンランド)とRAC(イギリス)で2勝したものの、ポーランドラリーのフィアット、オーストリア・アルペンラリーのBMWの勝利はやや番狂せな展開によるもので、ヨーロッパの王道的イベントではA110が圧倒したと言って良いだろう。 サーブ(スウェーデン)、ダットサン(サファリ)はそれぞれ得意とするラリーを制した形で、トヨタのプレス・オン・リガードレスラリー(アメリカ)に至っては実質ワークスチームはエントリーせず、ローカルチームのみで争われたものだ。ちなみに、この1973年プレス・オン・リガードレスがトヨタ「車」のWRC初勝利だった(トヨタワークスの初勝利は1975年1000湖ラリー)。 なお、前身の国際選手権も含め、選手権タイトルはメイクスにしか掛けられておらず、ドライバー部門は1977年と1978年のFIAカップを経て1979年から正式に選手権タイトルとなる。