認知症にはいい面もある?生物学者が「認知症を悲観的にとらえなくてもいい」と言う理由
池田 ナマケモノが絶滅しないのは、もしかしたらオウギワシがコントロールしてるからかもしれないね。これ以上食うと、餌が足んなくなって自分たちが滅ぶから、このぐらいにしておこうって。分かんないけど。 南 あー、そうか、あり得るね。頭いいすね。 池田 ライオンも、結果的にそうだよね。狩りがすごく下手で、成功率は2割から3割じゃん。ほぼ成功とかになったら、ライオンの数は増えるだろうけど、餌がどんどん減ってくから、共倒れになっちゃうよな。 食う、食われるの関係のバランスをうまく取っている生物だけが、生き残っているんだと思うよ。そういう意味では、人間はヤバイよね。人口が増え過ぎて、餌が足んなくなってきているから。オウギワシやライオンを見習ったほうがいいよ。 南 やっぱり!面白いなあ。池田さんの話は。 池田 澤口俊之くん(神経科学者)とも自我について話をしたことがあって、彼は、自我は前頭葉の前頭連合野という場所に局在していて、その中で神経細胞がぐるぐるコミュニケーションして、その結果出てくるものだって言ってた。 だけど、前頭葉の細胞の中身だってどんどん入れ替わっているし、コミュニケーションのパターンも昨日と今日は違うのに、どうして同じ自我がそこにあるのかっていうのが、俺の興味なんだよね。 南 細胞が全取っ換えになっても、脳は変わらない。
● 「統合失調症」の発症は 巨大地震が起こったようなもの 池田 正確に言うと、脳の細胞自体は分裂しないから新しい細胞に変わることはないんだけれど、脳の細胞を構成する分子が毎日新しいものに入れ替わっている。構成する物質の種類は変わらないから、細胞がクルマだとすると、部品を新しいものに変えてるようなものだね。だから昨日の細胞と1カ月後の細胞では、中身を構成してる物質が違うものになっている。 それから、シナプスのつながり方も常に一定じゃない。どうつながるか、どうコミュニケーションするかっていうのは、どんどん変わっているわけだから、自我を作り出しているプロセスもどんどん変わっている。どんどん変わっていくにもかかわらず、自我が同じだと思うのはどうしてなのかっていう問題ね。 我々が自我だと思っているものは、厳密にはどんどん変わっているにもかかわらず、ある範囲の中で変化しているものに関しては「これは同じだ」と思うことができる。人間はそういう能力を根本的に持っているんじゃないかと俺は思う。 だけどあまりにも変化しすぎて、ある範囲を超えてしまうと、自我の同一性を保つのが難しくなって変調をきたす。その一例が、統合失調症だよね。いきなり統合失調症を発病した人に話を聞くと、「ドアを開けたら世界が変わってる」と言う。すごく怖いみたいだよ。でも、変わったのは世界じゃなくて自分なんだよね。自我に変調をきたして、それまでとは現実の認識の仕方が全く違うようになってしまった。