「何をしてでも成功を!」「穏やかに等身大の自分と向き合うべし」同じハーバードの学者でも全く別の方向で記された著書を読んで。成功とは自らを誇張したり、偽ってまで得る価値のあるものだろうか
ある日、ご主人からあるニュースへのリンクの付いたメールが送られてきたというマリさん。そこに記されていた内容は、日本のメディアでは目にしない内容だったそうで――。(文・写真=ヤマザキマリ) 【写真】成功とは自らのキャパシティの大きさを誇張したり、偽ってまで得る価値のあるものだろうか… * * * * * * * ◆夫からのメール 先日、夫からとあるニュースのリンクを貼り付けたメールが送られてきた。 開いてみると、行動科学者のフランチェスカ・ジーノ氏が、論文のデータ改ざんを行ったとされる件で、それまで教鞭を執っていたハーバード・ビジネス・スクールを名誉毀損で訴えた、という内容。日本のメディアでは見あたらない記事だった。 ジーノ氏はすでに教授職を奪されているが、この事件が起きるまでは、「40歳以下のトップ・ビジネス・スクール教授40人」の1人に選ばれたこともある優秀な人だった。 論文の改ざんという学術不正行為が事実だとすると、それはハーバードだけでなく学術界にとって大問題であるが、ジーノ氏はあくまで事実無根を訴えているという。
◆ブルックス氏の考え方に強く共感して ちなみにジーノ氏の有名な著書『イヤなやつほど仕事がデキる』では、成功者となるには自分のなかに潜む反逆的才能を稼働させ、時にはルールを破ったり、イヤな奴と思われることもいたしかたない、といった方法論が綴られている。 果たして彼女自身、何をしてでも成功をつかもうという志があったことが、このような著作を記す動機となったのかどうかはわからないが、大学を首席で卒業後、出世街道を突き進んできたわけだから、自身が成功者だという自覚はあっただろう。だからこそ、名誉を取り戻すためにハーバード大学を相手に2500万ドルを求める訴訟が起こせるのだと思う。 夫からこの記事が送られてくる直前、私はたまたま同じハーバードで教鞭を執るアーサー・C・ブルックス氏の記した本を読み終えたばかりだった。『人生後半の戦略書』というタイトルのその本は、上記のジーノ氏の考えとはまったく別の方向へ読者を誘う内容となっている。 要は、人間はある程度まで年を重ねたら、老化や衰えを否定したり、今まで以上に頑張ろうとしなくていい。若い頃のように特別な存在としての地位を築くことや、成功を追い求める欲と執着を捨て、穏やかに等身大の自分と向き合うべし、といったことが綴られている。 ブルックス氏はもともとプロのホルン奏者として活躍していたが、音楽的才能に見切りをつけて学者に転身したという人物だ。世間の評価を軸に自らを理想通りのイメージに固めてしまうよりも、自分の本質をしっかり理解し、それに適した生き方をするという彼の考えには、私も強く共感するところがあった。
◆世間的成功という価値観 確かに成功というものは、自分の存在を肯定する大きなきっかけとなる。生きることの意味という漠然とした不安を克服する術にもなりうる。だからといって、果たして自らのキャパシティの大きさを誇張したり、偽ってまで得る価値のあるものなのだろうか。 真の品格や資質が備わっている人にはブランド品の装飾などが必要ではないように、自分という人間の“等身大”を見据えつつ、慎ましくも懸命に生きるなかで幸せを感じられている人には、世間的成功という価値観などおそらく必要ない。 そんなことを、この2人のハーバードの学者のあり方を通じて再確認できたように思う。 (撮影=山崎デルス)
ヤマザキマリ
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