鳥羽天皇の第一皇子、崇徳院の百人一首「瀬をはやみ~」の意味や背景とは?|崇徳上皇の有名な和歌を解説【百人一首入門】
崇徳院(すとくいん)は、平安時代後期の75代天皇で、鳥羽天皇の第一皇子です。在位は18年に及びますが、皇族内の政権争いに巻き込まれ、保元の乱で敗北し讃岐国に流刑されました。天皇として即位したものの、父とされる鳥羽上皇からの愛を受けず、院政からも排除されます。 写真はこちらから→鳥羽天皇の第一皇子、崇徳院の百人一首「瀬をはやみ~」の意味や背景とは?|崇徳上皇の有名な和歌を解説【百人一首入門】 最終的に、崇徳上皇として権力回復を試みましたが失敗し、流刑地で写経に励むも朝廷に拒絶され、怒りの中で亡くなります。死後、その霊は怨霊とされ、明治天皇や昭和天皇が慰霊を行うなど、長年にわたって鎮魂の儀式が続けられました。
崇徳院の百人一首「瀬をはやみ~」の全文と現代語訳
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ 【現代語訳】 川の流れが速いので、岩にせき止められる急流が二つに分かれてもまた一つになるように、恋しいあなたと今は離れていてもいつかはきっと逢おうと思う。 『小倉百人一首』77番、『詞花集』229番にも収録されています。この歌は、川の急流が岩にぶつかり二手に分かれる様子を、別れと再会に重ねています。原典は崇徳院主催の『久安百首(きゅうあんひゃくしゅ)』。いくつかの題で歌を詠み、合計で百首とするものです。 「瀬」は、川の浅いところを指します。「せかるる」とはせき止められる、「滝川」は急流、激流という意味です。「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」は、「われても」を起こす序詞となっています。「あはむとぞ思ふ」は分かれた川の水の流れが再び合うことと、別れた男女が逢うことの二つの意味が込められています。 情熱的な恋の歌と捉えることもできますが、逢いたかったのは、疎まれていた父親である鳥羽上皇とみることもできます。親子としての絆を求めていたのかもしれませんね。
崇徳院が詠んだ有名な和歌は?
歴代天皇の中でも、崇徳院は和歌に精通していることで有名です。そんな崇徳院の歌を二首紹介します。 1:花は根に 鳥はふるすに かへるなり 春のとまりを しる人ぞなき 【現代語訳】 春が過ぎれば桜の花は散って根に帰り、鶯は古巣に帰るという。では春はどこに帰るのだろう。その帰り着く先を知る人はいない。 崇徳院は、保元の乱に敗れ、讃岐国へ流されたのち、望郷の念と孤独に苛まれました。季節の移ろいがあるように、自分もいつか都へ戻れるのではないかという願いが込められている一方で、春が行き先を持たず消えるように、自分もこのまま消え去るのではないかという不安も表現されていると考えられます。 2:もみじ葉の 散り行くかたを たづぬれば 秋も嵐の こゑのみそする 【現代語訳】 紅葉の葉の散ってゆく方を訪ねれば、秋も今は嵐の音が響いてくるばかりです。 この歌では、紅葉が風に吹かれて散り行く様子が描かれています。紅葉が美しく舞う姿から、その行方を追いかけるようにしても、ただ荒々しい嵐の音だけが残る。秋の儚さと寂寥感が伝わってきます。 また紅葉が散り行く姿は、自分が都から追われていく姿と重なるものがあったのかもしれません。風に舞う紅葉のように、帰るあてのない自分を思いながら、その寂しさを秋の嵐の音に託しているようです。