在日インドネシア人ならみんな知っている──話題のスーパーフードを山中でつくる、滋賀の「テンペ王」を訪ねて
「日本に着いたらね、キンモクセイのいい香りがしたんです。これが日本の香りだと思った」 キンモクセイの甘い芳香が漂う秋の京都を、ルストノさんは自転車で走り回った。「日本に来たら、絶対になにか商売を起こす」。そう決意していたのだ。そのためのヒントを……と思って立ち寄った錦市場で、豆腐や納豆を見かけた。 「テンペと同じ、大豆を使った発酵食品が日本にあるとは知らなかったんです。でも、納豆があるなら、テンペも日本で受け入れられるんじゃないかって」 「これだ」と思ったルストノさんは、テンペひと筋になった。まず買ってきた日本全図を、自宅の壁に貼り付けた。テンペを買ってくれたお客が住む場所を、地図に記していこうと思い立ったのだ。北海道から沖縄・石垣島まで、マークでいっぱいにしようと決めた。 実はルストノさん、それまでテンペをつくった経験がまったくなかった。そこから異国でトライしようというのはなかなかむちゃにも映るが、「ネガティブなことを考えるより、まずやってみよう」というのが彼の信条だ。つる子さんも、ルストノさんのそんな前向きなところに惚れたのだ。
まだネットがあまり普及していない頃で、まずはインドネシアの実家の母に国際電話であれこれ詳しく教えてもらったが、難しいのはやはり発酵だった。 「日本の冬場に温度をどうすればいいのかわからなかったし、何度つくり直しても発酵がうまくいかないんです」 水道水に含まれる消毒用の薬品が、発酵作用に影響しているのではないか……。つる子さんとも話し合い、「天然水を使ったほうがいいんじゃないか」と考えた。そこで京都の名水、伏見の御香宮神社に湧く「御香水」を使ったところ、これが当たりだった。発酵がうまく進んだのだ。 大豆の選択も試行錯誤の連続だった。大豆はそのほとんどが輸入で賄われる昨今だが、ルストノさんは日本産にこだわった。 「日本でつくるんだから、日本の水と、日本の大豆でつくりたかったんです」 結果、北海道の大豆にたどりついた。糖度が高めで、テンペによく合っていた。その後、地元・滋賀にもいい大豆が見つかっている。 さらにルストノさんは、日本基準の食品の品質管理を学ぶため野菜の加工場で働いたり、インドネシアに舞い戻ってテンペの製法を勉強し直したりもした。 そして日本に帰国後、京都にも近い比良山地の天然水が良いと聞き、この地にテンペ工場を建てた。それからずっと、家族で自らの名を冠した「ルスト・テンペ」をつくり続けている。