ブラジル日系社会『百年の水流』再改定版(10) 外山脩
草創期(3)
杉村報告書が、日本で新聞発表された一九〇五(明38)年の暮れ、一人の青年が横浜港から東廻りの南米航路の客船で旅立った。二十七歳の鈴木貞次郎、つまり南樹である。ただし、この時点では杉村報告書とは関係ない。 南樹は山形県の産で、生れは一八七八(明治11)年である。少年時代に初恋を経験した。生涯、その相手を懐う歌を、照れずに詠み続けた。 ふと君を 恋いそめしより 四十年 わが胸にのみ 包む悲しさ これを詠んだのが、五十歳を過ぎてからであった。当時の人間なら、誰でも棺桶に入る心構えをしていた年輩である。 前にも書いたように、南樹の歌はどれも素人臭いが、これは当人も認め(それでよし)としていた。(つづく)