「全然同情してくれ」――騒がしい外野の声は濱田祐太郎には届かない
めっちゃおもろい! 漫才って何?!
もともとアニメやゲームが好きな少年で、クラスでも目立つタイプではなかった濱田。「よしもと新喜劇」がテレビ放送される兵庫県神戸市の出身だが、小5まではお笑いに一切興味を示さなかった。 小6のある日、なんの気なしに眺めていたCMに妙に惹きつけられ、「きよし・なるみのめっちゃ!漫才」(テレビ大阪)を視聴する。当時、屈指の実力派漫才コンビだったビッキーズやハリガネロックらが繰り出す笑いに濱田は衝撃を受けた。 「その時に泣くぐらい笑ったんです。めっちゃおもろい! 漫才って何?! って」 その1カ月後に第1回M-1グランプリが開催された。出場者の中にはハリガネロックの名も。「これもうハリガネロックさん絶対優勝するやん」――疑いを持たなかった濱田の予想を、中川家が初代チャンピオンとなり打ち砕いた。 「あんなに面白いハリガネロックさんよりさらに面白い人たちがおんねや……」 濱田は、笑いの魅力にすっかり取り憑かれてしまった。 中学時代には芸人になる決意を固めた。両親にも常々公言。NSCの願書を手に改めて告げると、「そんだけ言うんやったらやってみたら」と母も承諾した。
書類審査と30秒のネタ見せを経て、NSC大阪35期生となった濱田。実は薄氷の合格だったことがのちに判明する。 「『目の見えない人をサポートするシステムがないから最初は落とそうとしたけど、披露したエピソードがよかったから上げたんやで』と、後になって審査員の方から聞きました。でも、その前にアマチュアで出たR-1の 準決勝まで残って多少知られてたんです。実績のあるやつだからとりあえず押さえとこうという下心もあったんじゃないですかね」 R-1での漫談のウケが心地よく、ピン芸人の道を選んだ。漫才への憧れはあったものの、よき相方には巡り合えなかった。 「NSCで漫才をする授業があって、1回だけやったんですけど、52歳の同期のおばちゃんと組まされて。そのおばちゃんが俺に『私きゃりーぱみゅぱみゅに似てんねん』って永遠に言ってくるネタでしたね」 吉本でも前例のない盲目のピン芸人。不安はなかったのか。 「いろいろ困ることはあるやろなと思てましたけど、楽観してましたね。なんとかなるんちゃうかぁと。オーディションとかも会場の周辺まで行けば同期の人とかが連れてってくれたり、舞台上でもスタッフの方がセンターマイクまで誘導してくれたりしたので。ありがたいなぁと思ってます。これまで遅刻も1回だけ。お酒飲みすぎて寝坊して。その時は本当に目の前まっ暗になりましたけど」