「石川に勇気を」被災地からの春高バレー出場・日本航空石川 チームメイトは「第2の家族」…練習場所求め各地を転々
1月5日(日)に開幕する、春の高校バレー2025。 激戦を勝ち抜き「高校バレー日本一」の栄冠を手に入れるのは、果たして…。 大会に出場する104校の中から、春高バレー2025の注目校をピックアップ。 今回紹介するのは、石川代表・日本航空石川。 【画像】能登半島地震で大きな被害を受けた日本航空石川
能登半島地震で学校が使用不可に
創部2年目にして春高バレー初出場を決めた、日本航空石川。 本戦1カ月前となった12月上旬。彼女たちの姿は地元の石川ではなく、東京にあった。 2024年元日、 石川県を襲った能登半島地震。 輪島市にある日本航空石川も大きな被害を受けた。 彼女たちの過ごしていた大切な場所は、使用不可能になった。 当時の心境をゲームキャプテンの鈴木六花(2年・セッター)に聞いた。 鈴木: 「体育館が使えないとか、学校が使えないとかを聞いていて、これからバレーを続けていけるのか、本当にみんなと会えなくなるんじゃないかと不安がありました」
練習場所を求めて各地を転々とする日々
練習拠点を失ったバレー部は、各地を転々とすることに。 1月には系列校のある山梨県へ。 選手たちは、所狭しと並んだ段ボールベッドで寝泊まりをする日々。 鈴木: 「山梨にいた時が本当に一番辛かったです。 精神的にも体力的にもみんなが限界を迎えていて」 4月からは、東京の青梅市にある明星大学のキャンパスを借り、校内の仮設住宅で暮らしている。見知らぬ土地で充分とは言えない設備での生活。 キャプテンの小林由結(2年・アウトサイドヒッター)は、苦しい胸の内を話してくれた。 小林: 「受け入れてもらえるかが不安でした。 被災した方々は避難していらっしゃる状態で、自分たちはバレーを続けていいのかなというのもありました。 石川に今後も戻れないのかなと考えていて、すごく不安でした」
チームメイトは「第2の家族」
不安を抱えながらの生活と部活動。 そんな彼女たちの支えとなっているのは何なのか。 ある部員は「全員一緒。全員家族。(石川の)家に帰った方がちょっと旅行みたい。家にいる時間の方が短いからこっちが家」と語る。 鈴木: 「“第2の家族”的な存在ですね。バレー部のみんながいたから、乗り越えられたんだと思います」 どんな困難が立ちはだかろうと、「第2の家族」と共に前へ進む選手たち。 固く結ばれた絆は快進撃を呼び、10月に行われた県大会では創部2年目にして優勝を果たした。