文化大革命、紅衛兵による徹底破壊でモンゴル仏教は壊滅状態
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。
清王朝を倒した中華民国の時代も、仏教及びモンゴル人の信仰に対しては、弾圧や破壊はあまりなかった。しかし、1949年の中華人民共和国建設に伴い、社会主義になってからは全てが一変した。 内モンゴルでは1950年代の強制的な還俗や1965年からの文化大革命を通じて、モンゴル人の心のより所であった仏教は弾圧され、宗教的な活動や伝統的で民族的な行事はほとんど禁止された。紅衛兵により仏教寺院に対する徹底的な破壊が行われ、倉庫や家畜小屋などに利用された一部の寺以外はほとんど破壊された。これらによって内モンゴルの仏教も壊滅状態に陥ってしまった。
私が、内モンゴルを取材し始めたころ、写真の技術的な問題以外に、一番悩んでいたことが、文化、歴史、伝統などをどういう視点からどのように表現すべきかという問題だった。 文化大革命で破壊された寺が、その後も、ゆっくりと自然の風化による劣化と建材を持ち出す人たちがいたために壊れ続け 、最終的に多くの廃墟が跡形もなくなっていく。これらの廃墟を有名か無名か、経済的な効果があるかないか、大きさなど関係なく、私は一刻も早く全てを研究し、記録し、保存していくべきだと考えている。 2011年の取材中、チャガン・オーライン・スムを訪ねたことがある。この寺はモンゴル仏教史上、とても有名だ。ここにはモンゴル仏教の歴史では著名な翻訳者であるチャハル・ヘッブシ・ロブサンチュルドムが住職だった。 彼は多くのチベット仏教文献をモンゴル語に翻訳した。その偉業については、現在は中国、アメリカ、日本など世界中のモンゴル学者たちが注目し、研究を進めている。しかし、私が訪れた時は、その寺は跡形も無くなっていた。寺があった場所にはオボー(モンゴルの各地に祭られているその地の神々が宿っている場所で、氏族のシンボル的な存在【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第3回)が 建てられていた。近くの遊牧民の話によると昔は立派な寺があったが、文化大革命で破壊されてしまったという。(つづく) ※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第7回」の一部を抜粋しました。
---------- アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA) 1977年 内モンゴル生まれ 2001年 来日 2013年 日本写真芸術専門学校卒業 国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。 主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。