フィリピン・ミンダナオ島 忘れ去られた内戦と避難民
避難所で暮らすマラウィ市のイマーム
さらに大家族の人に話を聞きたいと思っていた時に目にとまったのがファイサルさん(52)の一家だった。周囲を子供たちが歩き回る中、彼は静かに座り込んでいた。インタビューをしたいと彼に伝えると、立ち上がり握手をし、快く応じてくれた。 家長であるファイサルさんは、マラウィ市でイマーム(イスラム教の指導者)として暮らしていた。雑貨品などを売る商店も経営し、あと4日に迫ったラマダン(イスラム教の断食月)に向け、商品の仕入れなどに忙しかった。過激派によるマラウィ市占拠が宣言されたのはそんな時だった。「突然市内全体に、過激派グループからの『5時間以内に市外へ出ろ』との放送が流れました。それを聞き、急いで家族と共にマラウィ市を出て隣町に向かいました。その後、いとこの車を借りてなんとか今の避難所まで逃げてきました」 避難所に到着し、命の危機は脱したが、待っていたのは先の見通しが立たない生活だった。彼が住んでいた場所は政府軍と過激派組織との激戦区。空爆や銃撃戦により、住宅をはじめ、あらゆるものが破壊され続けていた。彼らは着の身着のまま逃げてきたため現金や家財道具などは手元になく、政府から家族単位で配給される食料支援に頼るほかはなかった。 ただ、ファイサルさんは30人の大家族。配給の食料だけで家族を養うのは難しい。親戚家族10人と共に避難所内に割り当てられた2~3メートル四方程度の狭い区画は、寝返りがうてないほど窮屈そうだ。 「もし、マラウィ市に帰還できるようになったとしても、激戦区にある私の家や商店は完全に破壊されているでしょう。おそらく何も残っていない。それに、避難所では何もやることがない。ただ支援に頼って生きる毎日です。正直、自殺を考えるほど気持ちが滅入ってしまっていた時期もあります。今はとにかく家族のために、と気持ちを立て直して生きています」 ファイサルさんは避難前、権威のあるイマームとして人々に教えを説く立場にあった。だからこそ、ここまで追い詰められているのではないか。今まで溜め込んでいた、誰にも言えなかった思いを吐き出すように話してくれたファイサルさんを前に、そんなことを思ったが、かける言葉が見つからず、握手して、ただ「さようなら」と告げて、その場を後にした。