フィリピン・ミンダナオ島 忘れ去られた内戦と避難民
イリガン市の避難所
事前に現地で避難民支援や平和構築に携わるNGOに連絡を取り、戦闘が続くマラウィ市で取材することを考えたが、「マラウィ市周辺都市ですら、外国人のNGOスタッフはほとんど活動していない状況です。1人で行くことは勧められません」と聞かされる。 取材のツテが得られないままミンダナオ島に降り立ったが、現地のNGOとメールでやりとりを続ける中で、彼らがマラウィ市周辺の避難所へ給水活動に行くことを聞きつけ、同行することになった。さらに、別のNGOを紹介され、マラウィ市の北約40キロに位置するイリガン市の避難所を回ることになった。 イリガン市で内戦を逃れる人の避難所になっていたのは20メートル四方の体育館。外壁には、山や川、村などミンダナオ島の風景が一面に描かれている。屋根と壁の間には大きな隙間があり、風通しは良い。入り口は開け放たれたままで、頻繁に人が出入りする。 中に入りまず目に飛び込んできたのは何百人もの人だ。ある者は家族同士向かい合って、ある者は通りすがりに知り合いと、楽しげに、そして時には真剣な様子で話し込んでいる。しかし、彼らの話す言葉(マラナオ語)が分からないので、自身の耳には雑音のように聞こえてしまう。東南アジア特有の湿気を多く含む気候に、人々の熱気が加わり、ただ立っているだけでも、額から汗がにじみ出る。 人々は体育館の床にビニールシートを敷き、家族や親族ごとに周囲に段ボール箱を積み上げスペースを作る。ただ、立ち上がれば隣は丸見えで、当然声も筒抜け。プライバシーとは無縁の空間だ。 この時、戦闘発生から3カ月。フィリピン政府によると、避難民約40万人のうち、95%(約38万人)はマラウィ市外で暮らす親族の元に身を寄せ暮らしているが、残りの5%(約2万人)は各地に点在する避難所での暮らしを余儀なくされていた。 政府は避難民に対し、食料支援を行うが、それも十分とはいえないようだ。「政府は家族ごとに米やオイルサーディンの缶詰などの食料セットを配給してくれるが、受け取れるのは2カ月に1回だったりで、家族全員が食べて行くには全然足りない」。少し聞いて回るだけで、多くの不満を耳にした。 避難所を管理する政府職員に話を聞くと、足りないのは食料だけではないようだ。「フィリピンには子だくさんな家庭が多い。赤ん坊のおしめのニーズが非常に高い」