12年の女性宮家議論は一体どこへいったのか 成城大教授・森暢平
◇社会学的皇室ウォッチング!/132 これでいいのか「旧宮家養子案」―第34弾― 宮内庁からの働き掛けによって、女性皇族が結婚しても皇室に残る案の検討が始まったのは民主党の野田佳彦内閣のもと2012(平成24)年である。結局、民主党政権の瓦解によって、当時の議論は現在、ほとんど顧みられていない。あのときの議論はどこへいってしまったのか。(一部敬称略) 有識者への最初のヒアリングが行われたのは12年2月29日である。中世史家の帝京大特任教授、今谷明(肩書は当時、以下同じ)、ジャーナリスト、田原総一朗が質問を受けた。今谷は「女性宮家は仁孝天皇の皇女、淑子(すみこ)内親王が桂宮を継いだ例もあり、決して不自然なことではない」と説明した。田原は「『女性宮家は不必要』との見解は女性差別であり、アナクロニズムだとすら思う」と、アナクロ(時代錯誤)という強い言葉を使い、女性宮家に賛成した。 2回目のヒアリング(3月29日)に答えた国際関係史の東大大学院教授、山内昌之は「陛下の御活動は十分に補佐されなくてはならず、そのためにも女性宮家の設立は象徴天皇制の維持と発展にとって必要である」「女帝・女系の天皇即位や旧宮家の復活といった天皇制の根幹に関わる大変革は、国民世論を大きく分裂させる。今は女性宮家の創設だけに問題をしぼっておくほうが良い」と答えた。当面の皇族数減少という問題に対処するための女性宮家の検討であって、皇位継承問題とは切り離したいという民主党政権の考えに沿う意見と言っていい。 しかし、「女性宮家」創設反対派が呼ばれた3回目のヒアリング(4月10日)では雰囲気が一変する。ジャーナリスト、櫻井よしこは、「政府の設問自体に無理がある。政府は、女性宮家の創設問題は皇位継承の問題と切り離すというが、これら二つは表裏一体の切り離せない問題である。一代限りの女性宮家にしても、必ず崩れて変質し、結果、男系天皇で幾世代も続いてきた皇統が女系天皇に移ることになろう」と反論した。「女性宮家」はいずれ女系継承につながるから、認められないという意見である。