「自分には何もない」大人気ゲーム実況者が「うまくいかない」時期を乗り越えた方法
「自分は何も持っていない」「いつも他人を妬んでしまう」「毎日がつまらない」――誰しも一度は感じたことのある、やり場のない鬱屈した思い。そんな感情に寄り添ってくれるのが、イラストエッセイ『ぼくにはなにもない 愛蔵版』。小説家だけではなく、大人気ゲーム実況グループ「三人称」の鉄塔としても活躍する賽助氏も本書の読者だ。この記事では本の感想も交えながら、賽助氏が考える「心の持ち方や生き方」について語ってもらった。(構成/ダイヤモンド社・林拓馬) 【この記事の画像を見る】 ● 「自分には何もない」感覚とどう向き合うか 『ぼくにはなにもない 愛蔵版』を僕も読んでみました。 絵本みたいなイラストが印象的で、最初はちょっと暗い話かなと思っていたんですけど、実際に読んでみたら「心の持ち方」みたいなテーマで、すごくいい本だなって思いました。 読んでいて一番共感したのは、「自分には何もない」っていう感覚のところです。 この気持ちって、誰でも一度は感じたことがあるんじゃないかなって思うんですよね。 僕自身も、大学にいる頃から卒業してしばらくの間、「自分には何もないな」って感じていた時期がありました。 振り返ってみると、小説家になる前の話で、もう10年以上も前のことです。 その頃、僕は演劇をやっていたんですけど、割と器用で、言われたことはそれなりにできちゃうタイプだったんです。 でも、逆に「これが自分の強みだ!」っていうものがなくて、なんか「器用貧乏だなあ」って自分で思っていました。 だから、演技がすごくうまい人とか、特化した才能を持っている人を目の当たりにすると、自分には全然魅力がないなって感じちゃって。 まさに「僕には何もないなあ」っていう気持ちが強くなっていたんです。 その頃は、演劇だけじゃなくて、いろいろ挑戦してみたんですけど、なかなか思うような結果が出なくて。 そんなときに他の人が輝いているのを見ると、「羨ましいなあ」とか「なんで僕には何もないんだろう」みたいなネガティブな気持ちを抱くことばかりでしたね。 この本の主人公は、「何もない」ことをそのまま受け入れて、それをよしとする方向に考えを変えていきます。 ただ、僕の場合はそこまで割り切れなかったんですよね。 その代わり、「何もないなら、それを武器にしてどうにかしよう」って思うようになりました。 例えば、友達がいないなら「友達がいないのをネタにして笑ってもらおう」とか、うまくできないことがあれば「そこを逆に笑いに変えよう」とか。 自分の「何もない」をなんとかプラスに見せようと必死でした。 「何かを持っている人」を羨ましいなって思ったり、嫉妬したりすることは今でもあります。 だからこの本に書かれている、「何もないことをじっくり楽しむ」みたいな心の余裕にはちょっと憧れる部分もあります。 「何もないからこそ気づけること」とか、「何もないからこそ楽しめるもの」を、自分も味わえるようになれたらいいなあ、なんて思ったりもしました。 本の前半は、僕自身の経験とも重なるところが多くて、めちゃくちゃ共感できました。 ただ、後半の「何もないことを完全に肯定する」っていう部分は、正直、僕にはまだそこまで達観するのは難しいと感じるところもあります。 でも、こういうテーマで自分を振り返るきっかけをくれる本っていいなと思いましたし、すごく面白い作品だなと感じました。 (本記事は『ぼくにはなにもない 愛蔵版』の感想をふまえた賽助氏へのインタビューをもとに作成しています) 賽助(さいすけ) 作家。埼玉県さいたま市育ち。大学にて演劇を専攻。ゲーム実況グループ「三人称」のひとり、「鉄塔」名義でも活動中。著書に『はるなつふゆと七福神』『君と夏が、鉄塔の上』(以上、ディスカヴァー・トゥエンティワン)『今日もぼっちです。』『今日もぼっちです。2』(以上、ホーム社)、『手持ちのカードで、(なんとか)生きてます。』(河出書房新社)がある。
齋藤真行/さいとう れい