一時期のホンダ「BAJAモデル出しがち問題」 タフモデルから原付スクーターまで「ホンダの魂」注入! ちょっとやりすぎた?
「バジャ」じゃないよ「BAJA」
1980年代から2000年代初頭までのホンダのオフロードバイクには、たびだび「BAJA」と冠されるモデルが発売されました。「BAJA」モデルは、おおむね巨大な2つのヘッドライトが搭載され、ナックルガードやゼッケンプレートをイメージしたパーツがあるのも特徴でした。 【それオフ車にする必要ある!?】楽しすぎるホンダの歴代「BAJAモデル」(写真) オフロードに詳しくない人の中には、バイクショップなどで「バジャ」と呼び間違えて恥ずかしい思いをすることもありましたが、正しい読み方は「バハ」です。 「BAJA」とはメキシコのバハ、カリフォルニア半島を縦断するデザートレースを指すもの。「BAJA」には複数のレースがありますが、特にホンダが成り立ちに大きく関わり、以降も積極的に参加し何度も優勝を果たしていたのが「BAJA 1000」です。真っ暗な荒野を一晩中、一気に1000マイル(約1609km)走り切るため、ホンダが掲げる「BAJA」モデルは、同レースを連想させる仕様となっていました。
ひょんなことから「レース」になっちゃった!?
「BAJA 1000」の成り立ちは1960年代前半に遡ります。その前夜となる1950年代後半、ホンダはアメリカ市場に複数のバイクの輸出を画策し、1959年にはアメリカの現地法人を設立しました。 その代表を務めていたアメリカ人のもとへ、1962年にやってきたのが当時の最新型モデル「CL72スクランブラー」でした。このモデルの信頼性をテストするため、メキシコのティファナからラパスまでの未舗装路を950マイル実走することにしました。 このテストは見事完走し、計測は39時間56分。後に複数のメディアが取り上げ、同時に「ホンダ」の名はアメリカ人の間で知れわたるようになりました。 さらに1967年には、「CL72スクランブラー」の記録を破るためオフロードバギーが同じ未舗装路を走行。その計測は34時間45分で、ホンダのバイクより5時間以上も短縮する記録となりました。 この後もさらに記録を更新するモデルが現れ、アメリカ人のバイクファンの間で大いに注目を集めることとなり、同年に正式なレースとして「BAJA 1000」が開幕となりました(当初の名称は『NORRAメキシカン1000ラリー』)。