一時期のホンダ「BAJAモデル出しがち問題」 タフモデルから原付スクーターまで「ホンダの魂」注入! ちょっとやりすぎた?
だから「BAJA」はホンダの魂 だいぶ採算度外視?
1969年には、ハリウッド俳優のスティーブ・マックイーンが参戦したほか、フォードの名車「ブロンコ」が参戦し優勝を果たすなど、BAJA 1000はアメリカの乗りものファンの間で絶大な人気を誇るオフロードレースとなります。同時にそのきっかけを作ったホンダ、そして、この時代に日本から輸出されたいくつかのホンダ製バイクは支持を集めました。 こうした経緯から、「BAJA」はホンダにとって大切な海外オフロードレースであり、レース定着以降も積極的に参戦しました。アメリカのメーカーはもちろん、世界中のメーカーに負けず劣らずの攻防戦を繰り広げてきています。 日本のメーカーでは他に四輪部門へ富士重工(スバル)、横浜ゴム、いすゞ、三菱自動車などが参戦。また、二輪部門でもヤマハやカワサキが参戦していますが、ホンダが圧倒的に強く、数十回もの総合優勝を記録しています。 このような輝かしい戦績からホンダにとっての「BAJA」は矜持にもなっており、特に1987年の「XLR BAJA」以降、複数のオフロードバイクに冠してきたというわけです。 BAJAを冠したモデルは、前述のような未舗装路を一晩かけて走り切るためのマシンとして、ホンダの開発者の中でも特にオフロードや「BAJA」レースに思い入れの深いスタッフによって手がけられました。結果的に採算度外視にも映る仕様で、マニアにとっては垂涎モノのモデルばかりです。
それ「BAJA」まったく関係なくない!?
一方、筆者個人的に心を奪われるのが、「BAJA」を冠したオフロードモデルをミニバイクに転じた例です。1992年、1993年には50ccの「モンキー」にも「BAJA」をラインナップし、中古車市場ではいまだに高値傾向です。 また、1994年には、レースとは全く関係ないはずのメットイン・スクーターの「Dio」にもBAJAモデルが登場。当時のホンダにどんな思惑があったかはわかりませんが、この遊び心と“やりすぎ感”、個人的には大いに感服します。