阿部兄妹はなぜ最強になったのか?「柔道を知らなかった」両親が考え抜いた頂点へのサポート
「限界点を知らない」からこそ身についた強さ
――以前、インタビューで、一二三選手がラタトゥイユが好きとおっしゃっていましたが、食事の面ではどのようなことを考えてサポートされていたのですか? 愛:特にこれというメニューがあったわけではないのですが、体にいいものや、いろいろな食材をたくさん食べさせるようにはしていましたね。みんなそんなにたくさん食べるわけではなかったんです。唐揚げやお米をたくさん食べる、というわけではないのですが、種類は豊富で、野菜とか煮物などを5、6種類ぐらい作っていました。 ――参考にしたアスリートの子育てなどはあったのですか? 愛:記事を見たり、テレビでそういう特集をやっていたら見たりもしましたけど、参考にしたことはないですね。「朝からしっかり食べる」とか、「これを食べると体にいい」という情報を見た時は、やってみたりもしましたけどね。 浩二:あの選手がこれをしているからこれをしなければいけない、と思ったことはなかったです。真似をしたらそこまでしかいけないし、それを超えていかないとトップにはなれないと思いますから。自分たちがそれ以上の何かをやらんとあかんのかな? と思っていました。結局、「柔道はこういうもの」ということを知らなかったから、限界点も見えていなかったんです。 ――その中で、試合で勝てる手応えが出てきたのはいつ頃だったのですか? 愛:一二三は小学校5年生ぐらいだったと思います。 浩二:その頃になって、少しずつ技が決まるようになって成果が出始めましたが、常勝にはほど遠かったですね。 愛:小学生の頃は全国大会に一回も行ったことがありませんでした。ただ、少しずつ技が決まるようになってきて、内容が良くなってきたんです。 浩二:目標や夢についての話はもっと小さい頃からよくしていました。目の前の大会は絶対勝ちたいけど、その先1年後、3年後、5年後はどうしていたい?とか、どの大会でオリンピックに出ようね、と。思わなければ、絶対にその場所には行けないと思いますから、一二三もずっと「そこにいくんだ」と思っていたと思うんですよ。 ――目標が具体的だったからこそ、イメージしやすかったのですね。 浩二:そうかもしれないですね。ただ、それも私が柔道の世界を知らなかったことが大きいと思いますし、親が知らないことも強みになるんだな、ということはいつも思うんです。 <了>