阿部兄妹はなぜ最強になったのか?「柔道を知らなかった」両親が考え抜いた頂点へのサポート
忍耐強く練習に取り組んだ兄・一二三
――試合に敗れた時の声の掛け方などで心掛けていたことはありますか? 愛:「じゃあ次は勝つために何をしようか」と、いつもみんなで考えていましたね。 浩二:「なんで負けんのやろな?」って当時は必死でしたから、「(相手の柔道着を掴んだ)手を絶対に放すな」とか、「前に出て自分から技かけろ」とか、「あの選手はこれができていたから、これができなかったら勝てないね」などと無理なことを言っていました。トップ選手がやっていることを小学生に言ってもできるわけがないのに、今考えるとむちゃくちゃですよ(苦笑)。僕もやらせてもらったことがあるんですが、手を放さずに握り続けるのは難しくて、爪が剥がれそうになるぐらい痛いんです。それを知っていたら自分の中でラインを引けたと思うんですが……(笑)。 ――自分と同じぐらい悔しがってくれたり、親が同じ情熱で戦ってくれることも大きいと思いますが、そんなに厳しい中でも一二三選手はやめたい、とは言わなかったのですか? 浩二:そうですね。彼のそういう我慢強さは今でもほんまにすごいと思いますし、努力家だと思います。やめたいんじゃないかな?と思うこともありましたけれどね。 愛:一二三は言わないで内に秘めるタイプで、我慢強い子でした。「練習が嫌だ」とか「行きたくない」と言うことはほとんどなかったです。詩は結構、わーっと泣くこともありましたけどね。 浩二:詩は感情を表に出すタイプで、出さへんかったらストレスが溜まるタイプなんだと思います。
天真爛漫だった妹・詩のスイッチ
――詩選手はお兄さんについて行って5歳の時に柔道を始めたそうですが、一二三選手とは違うアプローチをしていたのですか? 愛:特に何かを変えるということはなかったですが、詩に関しては、小学校の頃はそんなに頑張らなくてもいいような感じで、一緒にトレーニングとかをしたわけでもないんですよね。 浩二:「一緒にトレーニングしようか」と言ったら「うん、やる!」と言って家のすぐ近くの公園までついてくるんですけど、2、3個やったら「もう詩、帰るー!」と言って帰ってしまうんですよ(笑)。一緒に練習をやった記憶はほとんどないですね。 愛:当時は試合で負けても、「負けちゃったー!」って笑って帰ってきましたから(笑)。ただ、5、6年生ぐらいから、負けた時にちょっとずつ、悔しがるようになりましたね。 ――それぞれ、競技に本格的にのめり込むスイッチが入るタイミングも違ったんですね。 浩二:一二三に対しては周りの先生もめちゃくちゃ厳しかったので、かわいそうなくらい追い込まれていたと思いますよ。僕は練習以外は自由に遊んでいいと思っていましたが、トレーニングの時は厳しかったですから。 愛:休みの日も練習だったので、家にいる時は柔道の話はしないようにしていました。 ――兄妹喧嘩をすることもあったんですか? 愛:私たちが見ていないところではしていたみたいなんですけど、あまり記憶にないですね。