平昌パラ五輪は成功だったのか。浮上した課題と東京パラへの教訓とは?
3月9日から18日までの10日間にわたって行われた「第12回冬季パラリンピック平昌大会」。冬季では1998年長野大会以来、20年ぶりのアジア開催、そして韓国では初めての冬のパラリンピックとなった今大会には、史上最多の49カ国・地域から570人の選手が出場。北朝鮮からもノルディックスキー距離に2人が初参加するなど、過去最大規模となった。今大会は、障がい者スポーツの普及・発展という観点からすれば、成功裏に終わったと言っていいのかもしれない。 しかし、不可解だったこともある。チケットの売り上げ数と、実際の観客数とに大きなギャップがあったことだ。開幕前の報道では、すでに目標の22万枚を大きく上回る27万枚以上のチケットが販売されたことが発表されており、さらに大会期間中には、31万6200枚を売り上げた2014年ソチ大会を超え、冬季大会では史上最多となる34万枚以上という驚異的な数字を記録した。そのため、チケットは入手困難とされ、現地では 「見たくてもチケットが買えない」と嘆く日本人に何人も出会った。 ところが、実際に会場へと足を運ぶと、空席が目立つこともしばしばあった。オリンピックと同様に、企業などの団体購入で売り上げ自体は好調とされたものの、「紙くず」と化したチケットは少なくなく、本当に見たいと思っている人たちにチケットが行き渡らないという事態が起きていたのだ。これでは本末転倒と言わざるを得ない。こうした問題は、2020年の東京パラリンピックの教訓とすべきだろう。 さて今大会で実施された6競技のうち、5競技に38人の選手を送り込んだ日本は、目標としていた「前回のソチ大会での6個以上」を大きく上回る10個のメダル(金3、銀4、銅3)を獲得した。 また、メダルの数が増えただけではなく、その内容も4年前とは異なる。前回のソチ大会では、6個のメダル(金3、銀1、銅2)のうち、バイアスロンで獲得した銅メダルひとつを除いた5個すべてをアルペンスキーで獲得している。 今回は、アルペンスキーで6個とやはり群を抜いているものの、スノーボードで2個、ノルディックスキー距離で2個と、競技がばらけた。これは、障がいの有無にかかわらず、競技人口が減少傾向にあるスノースポーツ界にとってはプラスと言える。 有力な競技の数が多ければ多いほどスノースポーツへの注目度は高まり、またやる方にとっても選択肢が広がるからだ。 NHKが、冬季パラリンピックでは初めて生中継を行うなど、テレビや新聞などの報道量も過去最大規模だったことは間違いない。確かにオリンピックと比較すれば、その差は歴然であり、民放テレビ局では一切中継がなかったことも事実だ。 しかし、「オリンピックとの扱いに差があるのではないか」「なぜ民放ではやらないのか」などということが取り沙汰されたこと自体が、これまでにはなかったパラリンピックへの関心の度合いの高さを物語っている。 実は、現地では日本人メディアの多さに驚いた海外メディアが、ミックスゾーンで日本人選手に群がるその様子を立ち止まって眺めたり、撮影したりすることもあった。他国のインタビュアーが1、2人あるいは多くても3人であるのに対し、日本のゾーンだけは常に10人以上がごった返していた光景は、海外メディアからすれば滑稽に映ったことだろう。