平昌パラ五輪は成功だったのか。浮上した課題と東京パラへの教訓とは?
そんな過熱気味のメディアに応えるかのように、初日から日本人メダリストが誕生、競技9日間のうち、日本人選手の出場がなかった1日を除き、8日間すべてにおいてメダリストが誕生した。日本勢の大健闘があり、約2週間前に「史上最多のメダル獲得」で大盛況に終わったオリンピックの熱を、そのまま継承することができた大会となったのではないだろうか。 一方、メダルの数こそ2ケタにのぼったものの、メダリストの数で言えば、わずか4人。どの競技においても「選手層の薄さ」が課題であることが浮上した。特に、平均年齢41.9歳のベテラン集団で挑み、未勝利に終わったパラアイスホッケーにおいては、若手の発掘・育成は急務だ。ほとんどのリンクでは練習が深夜から早朝の時間帯に限られているという環境ひとつとっても非常に厳しい状況で、早期の解決が望まれる。 こうした中、一つの光明が見えたのはアルペンスキーだ。出場した全5種目でメダルを獲得し、「金、銀、銅のコンプリート達成」という偉業を成し遂げたアルペンスキー女子座位の村岡桃佳(21、早大)の存在なくして、今大会を語ることはできない。しかも大会第1号の日本人メダリストとなって日本選手団を勢いづかせたのも、最終日に10個目のメダルを獲得し有終の美を飾ったのも、すべて村岡であった。 「冬季パラでは男女通じて日本人最多となる1大会5個のメダル獲得」 「男女通じて日本人では冬季パラ史上最年少(21歳)での金メダル獲得」 「スーパーコンビでの日本人初のメダル」 女子座位の出場人数が少ないということを考慮しても、この記録の数々は称賛に値する。 また日本人女子の立位としては3大会ぶりの出場となった本堂杏実(21、日体大)の存在も見逃せない。 ラグビーからの転身という異色の経歴を持つ彼女は、本格的にアルペンスキーに取り組み始めて1年半。パラリンピック初出場ながら、最終種目の回転で8位入賞を果たした。これは彼女にとっても、日本のパラアルペンスキー界にとっても、未来へとつながる大きな一歩となったに違いない。今後、本堂のような“新星の台頭”をいかに増やしていくことができるかがカギを握る。 今年2月に日本パラリンピック委員会が主催した「選手発掘事業」には冬季競技も含まれていた。こうした事業での積極的な声掛けは必須で、パラリンピックでメダルを量産した今がアピールする大きなチャンスでもある。平昌の地で開いた冬季パラの花を根付かせるためにも、このチャンスを逃してはならない。 (文責・斎藤寿子/スポーツライター)