梅宮辰夫さんのがん報道 長女アンナさん会見(全文2完)復帰は2カ月後予定
病気の間に弱気な発言っていうのはあったのか
記者1:俺はね、元気だってみんなに伝えてくれということではあったんですが、一瞬病気の間に弱気な発言っていうのは聞かれましたか。 梅宮:弱気な発言。そうですね、でもね、あんまり言わなかった。言わなかったですね。 記者1:痛いとかそういうことも? 梅宮:とにかくチューブがね、邪魔でいらいらしてましたね。入院中は。 記者1:手術前とかはどうでした? 梅宮:手術前は、すごく緊張してたと思います。 記者2:あえておっしゃらなかったって感じですか。 梅宮:そうですね。とにかく、日に日に元気になっていって、口が利けるようになってくると、やっぱりどうしても人間、わがままが出たりとか、になるので、元気になった証拠だなっていう。とにかくやっぱり動かないじゃないですか、体が。おトイレひとつ行くのもすごく、点滴を、ずっと針が刺さってるので、そういう意味で体が動かない、思うように動かないことがすごくつらかったって言ってましたね。 男性記者:グルメな梅宮さんですけど、特にこれを食べたいとか、なんかそんなこと。 梅宮:あのね、珍しくというか、自分でも驚いてたんですけども、これが食べたいって本当にもう、この10日ぐらい前から言い出して。それまではやっぱり食べたいものすらも、出てこないって言ってたんですけど。おすしが食べたいって言ってましたね。 記者2:召し上がったんですか。 梅宮:はい。ちゃんとおすし屋さんに行って、食べました。
がんのステージについて
男性記者:(※判別できず)なんですけれども、冒頭で元気にしてるけど一時はどうなるかという部分があったということだったんですけれども、その、一時はどうなるかっていうの、2月の肺炎とは別にそういうこと。 梅宮:別です。今回の手術に対しての体力が、持つか持たないかっていうところが一番心配をしたところなので。やっぱり、高齢なので若い人たちと違って、がんがそんなに進行性が速くないんですね。なので、がんよりもその12時間の麻酔がちゃんと体力が持つのかっていうとこが、今回一番心配なところなので、そういう意味でどうなるんだろうっていう。 男性記者:がん自体はステージ2と報道出てるんですけど。 梅宮:1と2の間だそうです。 記者1:今年に入って2回命の危険があったというふうに理解していいんですよね。 梅宮:そうですね。 記者1:2回。 梅宮:でもね、本当に、九死に一生スペシャルを、もう何回もやってるんですよ。何回も。なので、もう本当に強いなって思いましたね。 記者1:アンナさんが覚えてるだけで何回ぐらいですか。 梅宮:まず、私が生まれた途端に肺がんですよね。で、もうあと1年も、余命1年ありませんと言われて、そのときには抗がん剤とあと、やっぱり放射線治療で焼いてしまってるんですけど。それからあと、私が覚えてるだけでも、小学校、私が6年生のときにまた、これまた風邪でもう、死にそうになってしまったんですけど。で、またそれも乗り越え、で、娘の百々果が生まれた年に、北九州で大好きな釣りをやってる最中に、防波堤から船に乗るときに、足をつまづいて、全部ここの骨を、7本ぐらい折ったんですね。で、北九州から緊急搬送されて、私たちは東京の病院で対面をしたときにはもう、ICUに入っていて、もう終わりかなっていう光景は目にしてたりとか。何回も、何回も生きてます。 複数:(笑)。 記者2:本当に運の強い方でも、ね。 梅宮:そうですね。だから本当になんか、家族の分までというか、うん。なんか、全部を背負ってるのかなって思いますね。 記者2:昔、40年前の肺がんをなさったときから、すごく食生活にも気を付けて、生活にもすごく気を付けたってお話をなさってましたけど。 梅宮:いや、ちっとも気を付けてない。 記者2:あ、そうなんですか。 梅宮:ちっとも気を付けてなくて、本当に今回ここまでいって、やっと気付いたみたいですね。はい、もうだから今はもう、その本を見て、例えばお塩が4グラムって書いてあったら、計量器に4グラムを、4.2でも駄目なんです。もう、本当にきっちり4グラムでお料理を作ってるので。 記者2:作ってるのは。 梅宮:はい、もう自分で。 記者2:自分で作ってらっしゃる。 梅宮:自分で作りたいって言ってて。やっぱりそれもね、リハビリになるので。はい。ですね。 記者1:皆さん大丈夫ですか。