「目の前にいたのに助けられなかった」「子どもたちは帰りたくないと言ってたのに」 家族を失った者たちの叫び【能登半島地震から1年】
「目の前にまだ生きている家族がいたのに、助けられなかった」
輪島市で倒壊した「五島屋ビル」の下敷きになり、経営していた居酒屋「わじまんま」と、妻と長女を失ったのは、楠健二さん(56)だ。 輪島塗の老舗企業が入った築50年、7階建てのこのビルは震度6強の揺れに耐え切れずに根元から倒れた。その後半年以上も撤去されないままだったが、それには理由があった。 「所有者の五島屋の社長さんが撤去の申請を出していなかったんです。あれほど大規模に倒れたので、現在、国交省が原因などを究明するための調査に入っているところ。社長さんもなぜ自分のビルが倒れることになってしまったのか、納得しておらず、調査が終わるまではとの思いがあるようなのです」(輪島市関係者) もっとも、その後五島屋は申請を出し、昨年11月には取り壊しが始まった。ある程度解体した後、国交省が基礎部などの状況を調べるという。解体が決まる前、楠さんはこう心中を明かしていた。 「あんな倒れ方はやっぱりおかしいと思いますよ。上が壊れていないのに下が折れている。いくら古いビルだからって、素人が見ても、疑問に思いますよね。肝心の基礎がおかしいのでは。それを明らかにしたいという思いはあります」 五島屋の社長とは一度、言葉を交わしたという。 「2月くらいだったかな。私が店の跡地で片付けをしていたら“すみませんでした”と声をかけられ、思わず“何ですか今さら”と言ってしまいました。そう思いたくはなかったけど、やっぱり妻と娘が死んだのはビルのせいだ――と考えてしまう自分がいるんです」
「そりゃ立ち直れないですよ」
正直な思いを打ち明ける楠氏。もちろん彼の中で震災はまだ終わっていない。 「店と家と、何より家族を失った。俺は目の前にまだ生きている二人がいてそれを助けてあげられなかった。そりゃ立ち直れないですよ。一生引きずって生きていくと思います。女房と築き上げた店を終わらせたくないから、いつかはあの地で店を再開したいと思っているけど、地元には客が戻っていない。まだまだその日は遠いですね……」 ビルが解体されても、ビル倒壊の原因究明を願う楠さんの気持ちは変わらない。現在はかつて家族で住んでいた神奈川県川崎市で、再び、居酒屋「わじまんま」を営業している。復興が進めば、将来的にはこの店を「支店」にして、妻と長女が眠る地で「本店」を出すのが目標だという。 復興道半ばの能登に雪が降り積もる前に、事態が前進することを願うばかりだ。
デイリー新潮編集部
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