まだ手が届くランボルギーニは「ウラッコ」でした…予想落札価格の半分の約1300万円で落札! いつかは人気が出て買えなくなるかも!?
しっかりと整備された1台
2024年6月30日、ボナムズがスイスで開催された「ボンモント」オークションにおいてランボルギーニ「ウラッコP300」が出品されました。1973年に登場したウラッコは合計で791台が生産されましたが、そのうち、1974年にデビューしたP300の製造台数はわずか205台。そのうちの1台がオークションに登場しました。 【画像】ボディは再塗装済み! ランボルギーニ「ウラッコP300」を見る(全29枚)
ランボルギーニ創立秘話をレポートした男が持っていたウラッコ
本題に入る前に少し興味深い話をしよう。フェルッチオ・ランボルギーニはもともとトラクターやエアコンなどのメーカーを所有する実業家であった。クルマに興味があったので、数多くのスポーツカーを所有していた。メルセデス・ベンツ「300SLガルウイング」、ジャガー「Eタイプ」などである。そして1960年にフェルッチオはピニンファリーナ・デザインのフェラーリ「250GTクーペ」を購入する。そして彼はこのクルマを1970年まで所有していたそうだ。この間、彼はこのクルマにある気に入らない点を発見した。それはクラッチであった。 フェラーリのサービスを訪れるもどうやらその対応に我慢ならなかったようで、自前のトラクターに装備されているクラッチが250GTのそれと全く同じ9インチのものであったことから、それを自身の250GTに装備したところ、好感触が得られたという。そこでエンツォ・フェラーリにその旨を進言するのだが、全く聞き入れてもらえなかった。そこからフェルッチオは、自らの名を冠した自動車ブランドを立ち上げることになるのである。1963年の話である。 この250GTは、じつは現存する。そしてそのクラッチの話に行き着く綿密な調査を行ったのが、ランボルギーニ・ヒストリアンのオリヴィエ・ナメッシュであり、今回紹介するランボルギーニ「ウラッコP300」の調査レポートを書いたのも彼である。
デザインはガンディー二、エンジンはスタンツァーニが設計
さて、ランボルギーニ「ウラッコ」の話である。初登場は1970年のトリノショー。しかし市販化までにはさらに2年の歳月を要した。はたしてライバルの登場を待っていたのか定かではないが、フェラーリはこのウラッコに対抗する2+2のコンパクトモデルを1973年にリリース。「308GT4」と呼ばれたそれは、レイアウトからそのサイズに至るまでほぼウラッコと同じ。しかも両車ともデザインはベルトーネに在籍していたマルチェロ・ガンディーニである。 初期のウラッコは2.5LのV8を搭載し、フェラーリが3L V8を搭載して登場すると、すぐさま同じ3L V8を搭載したP300をラインアップに追加した。今回紹介するのはそのP300と呼ばれるモデルである。 初期モデルのP250と呼ばれたモデルとの違いは排気量を拡大したエンジンのみならず、トランスミッション、サスペンション、それにボディワークに至る広範なアップデートを受けている。とりわけエンジンはもともとP250もパオロ・スタンツァーニ設計のものだったが、P250のSOHCからDOHC 4バルブヘッドに変更され、パワーもP250の220bhpから250bhpへと強化されていた。
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