あなたは「自立」していますか?他人に頼って生きてもいい 「自立」の意味をアップデート
■「何ができる?」よりも「何がしたい?」
確かにスウェーデンで取材してみると、老いも若きも、障害があってもなくても、その人の意思が何よりも尊重される場面に何度も出会った。 首都・ストックホルムの障害者就労支援の現場に同行させてもらった時のことだ。ストックホルムでは、ひとりひとりの障害者に市の職員が専属パートナーとなって就労支援を行うのだが、その日はある軽度知的障害の青年が職員と職場見学に行く予定だった。向かったのは、アニメーション製作や作曲を業務とするアートコンテンツの会社。一通りの部署を見学し終えた青年に、パートナーの職員や会社の社員が聞いたのは、一貫して「何がしたい?」だった。決して「何ができる?」ではなかった。 また重度認知症患者を受け入れる高齢者施設を訪れたときには、入居者全員に与えられる個人部屋を見せてもらった。ある96歳の女性の部屋にはたくさんの家族写真やお気に入りのぬいぐるみが飾られ、天井からは数字の「9」と「6」のパーティー用風船がつるされていた。私が過去に訪れた日本のある高齢者施設は、入居者がモノを壊してしまうリスクなどから質素な空間が好ましいとされていたのだが、それとは対照的だった。施設の職員曰く、入居者それぞれが自分の好みにあわせてまず部屋作りをするのだという。この施設のモットーは「人の“できる”を奪わない」だった。
■「ケーキを平等に分けて」どうする?
個人の意思がここまで尊重される社会はとてもすてきだ。しかし実現するには、それを叶えるだけの財源がなければならない。ご存知のとおりスウェーデンは税金の高い“高負担国家”だが、国民はなぜそれを受け入れているのだろう。河本さんはその根っこには日本とは大きく異なる「平等」の考え方があると話す。 例えば日本でホールケーキを切り分けるとき、それが6人なら均等なサイズに切り分けるのが平等とされる。だがスウェーデンは6人の中には、とてもおなかが空いている人や、一方でケーキが嫌いな人がいるかもしれないと考え、ケーキはそれぞれのニーズに合わせた大きさに切り分けるのが平等だと考える。つまりスウェーデンでは、必要とされる人には多く配分するのが「平等」なのだ。社会でも弱者に多く配分するのは当たり前という考え方が受け入れられていると河本さんは話す。