数十年経った今もなお「母を葬る」ことができない 秋吉久美子さんと下重暁子さんが語る「母と娘」
遅かれ早かれ、誰もが対峙することとなる両親の死。 今年、古希(70歳)を迎えた女優・秋吉久美子さんと、米寿(88歳)の作家・下重暁子さんが、母娘の関係を紐解きながら、『母を葬(おく)る』で対談を果たしました。看取ってから数十年経った今なお、母を葬ることはできていないーーそう語る理由とは。 【写真】秋吉久美子さんと下重暁子さん 時代を超え、新しい「女性の生き方」を切り開いてきたお二人が、年齢を重ねて見えてきたものを、あらためて語り合います。
前後編でお届けします。本記事は前編です。後編もあわせてお読みください。 【後編】秋吉さん下重さん語る「歳を取る」と「今を生きる」 ■それぞれに経験した「母との別れ」 秋吉 母が亡くなるまでの私はお調子者で、自分のエネルギーの赴くままに生きていました。それが、母を看取るに至った最後の半年間は、「こんなはずじゃなかった」と思うことの連続で。心の準備も何もできていなかった。本当にしんどい日々でした。 下重 そうでしたか……。秋吉さんは人一倍、真面目ですから。
秋吉 真面目というより、おそらく下重さんよりも波乱に満ちた「看取り」を経験したということなのかも。 下重 うちの母は脳梗塞で倒れて1週間で急逝しました。しかも、病院へ搬送されたとき、私はひどい高熱を出して看病もほとんどできないまま母を見送ったんです。 母は、「暁子に面倒をかけたくない」って普段からよく言っていたの。私が仕事で忙しくしていたから、時間を取らせたくないって。その言葉通りに旅立った。私には何も苦労をかけず、悲しみも残さなかった。死んでからは、一度たりとも夢に出てこない。
亡くなったときには、覚悟みたいなものを感じました。母は、福祉に尽くして生きた自分の母親をとても尊敬していたの。母の母親、つまり私の祖母ですね。実母を尊敬するあまり、「お母さんと同じ日に死にたい」って言い続けていたら、本当に同じ日に旅立った。 願い続けるってことは、そういうふうに生きたあかしなんですよ。だって、願わなければ望みは叶えられないでしょう? 「生き方は死に方」と言うけれど、同時に「死に方は生き方」でもある。