「同じ人間なのになぜ?」障がい者の平均月収が1万円に満たない実態から生まれた久遠チョコレート「創業当初は毎日100円のミートボールを食べて」
── スタッフは何人雇用されたのですか。 夏目さん:知的障がいがある3人を含めて5人です。スタッフの給料は最低賃金を保証していましたが、僕と、会社勤めをしながら手伝ってくれていた妻は無給でした。30万円ほどの貯金はあっという間になくなって、7社からカードローンを借りました。店を構えたのが地元・豊橋市の商店街で、いろんなお店の人にも助けてもらいました。おかずをわけてもらったり、お昼を食べさせてもらったり。スーパーで100円で売っているミートボールを毎日のように食べていたので、今でも味を思い出せます。
── 経営的には、かなり厳しかったのですね。 夏目さん:パン作りは、総菜パン、菓子パン、ハード系のパン、それぞれにオペレーションが違います。小さい厨房の中で、あれをやりながらこれをやるというマルチタスクをこなして、どこかの工程で失敗すれば廃棄しないといけない。それが大変でした。ぼくも含めて、ほとんどのスタッフはパン作りの経験がなかったし、マルチタスクが苦手なスタッフが多かったので。しかもパンは販売価格が安い。全然、商売にならないというのが現実でしたね。
パン屋を始めたころに結婚したんですけど、結婚式は挙げられなくて。親が見かねて、市内のホテルの日本料理屋で結納らしい場を設けて、指輪も用意してくれました。妻は、ぼくが言うことに「ノー」と言わずについてきてくれました。いつか結婚式をやらないとな、とはいまでも思っているんですけどね。
■「温めて溶かせばやり直せる」チョコレート作りで一流ブランドを目指す ── そこからなぜチョコレートを作るようになったのですか?
夏目さん:パン屋経営のヒントがほしくて参加した異業種交流会で、ショコラティエの野口和男さんを紹介してもらったことがきっかけです。 パン屋の経営が思うようにいかなくて、「障がいのある人を置き去りにしていかないと、生産性は上がらないのだろうか」と悶々としていたところに野口さんと出会って、工房を見せてもらったんです。野口さんの工房では、チョコレート作りの工程が細分化、かつ単純作業化されています。それぞれの持ち場では、外国人をはじめとするさまざまな人が仕事をしている。しかもチョコレートの品質が高くて、高級ブランドのチョコレートも受注しています。