澤穂希がサッカーを始める時、母がサッカー少年団に放った衝撃の一言…後輩にはあの名選手「すごいかわいい男の子」
サッカー女子元日本代表で、2011年女子ワールドカップ(W杯)では主将としてチームを優勝に導いた澤穂希さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演。サッカーを始めたきっかけや女子サッカーの未来への期待について、MCの元男子日本代表の槙野智章さんと語った。 【音声】「穂希で歴史を変えてください」 澤穂希さんの母親、かっこよすぎ
「穂希でその歴史を変えてください」
澤さんがサッカーを始めたのは小学2年の頃。父親の仕事の関係で大阪で暮らしていた時期だったという。
「兄の練習について行って、コーチに『妹さんも蹴ってみないか』って言ってもらって。たまたま蹴ったボールがゴールに入って、それがうれしくて自分もサッカーを始めた」
その後、本格的にサッカーを始めたのは家族と東京に戻ってから。東京都府中市の少年サッカークラブ「府ロクサッカークラブ」に入部した。
「サッカー『少年団』だったので、入れなかったんですよ、女の子は。断られたんです。だけど、私の母親が『穂希でその歴史を変えてください』って頼み込んで入ることができた」
澤さんの周囲で、サッカーをしていた女子はまだ珍しかったという。「サッカー=(イコール)男の子のスポーツだったので。小学3、4年ぐらい、相手チームに女の子が1人、2人いたのは覚えています」
府ロクの後輩は元代表の…
澤さんの2歳年下で府ロクのチームメートだったのが、元川崎フロンターレの中村憲剛さん。
「府ロクは年に何回か、1年生から6年生まで一緒にミニゲーム大会とかやるんです。その時に憲剛と同じチームになって試合して。当時の写真もまだあるんだけど、憲剛ちっちゃかったのよ。今じゃ考えられないぐらい。アディダスの帽子をかぶって、自転車に乗って、肌が焼けてすごいかわいい男の子だったの」
中学入学のタイミングで日本女子サッカーリーグ(当時)の読売サッカークラブ女子・ベレーザ(現在の日テレ・東京ヴェルディベレーザ)の下部組織「メニーナ」に入団。すぐに実力が認められ、2か月ほどでベレーザに昇格した。