社長の息子、入社してすぐに大ヒット商品を開発 それが面白くなかったのは「カリスマ」で「靴下の神様」の社長だった…
◆ダンからタビオへ、社名変更した理由は
――2000年に大阪証券取引所に上場を果たし、6年後に「ダン」から「タビオ」へ社名変更されています。経緯を教えてください。 2000年に上場してから社内環境も市場環境も変わりました。 それに伴い、会社の売り上げが低迷してしまったんです。 とうとう「3足1000円」のショップの展開にまで踏み切ったのですが、それでも赤字の店が続出していました。 その頃、当社の専務が、ある大手企業の経営層の人から「リブランディング」を勧められたという話を聞きました。 上場後は事業も広がり、海外展開も始まっていました。 2002年にロンドンに海外初出店をして、その店の名前が「タビオ(Tabio)」でした。 「ダン」という言葉は、欧米では「ダニエル」という男性名のあだ名になるため、ブランド名としていずれ使えなくなるかも、という危惧があったからです。 その頃、将来の社名変更を見据えて、商標登録は済ませていました。 あとは、先代の様子をうかがいつつ、ベストなタイミングで変えようと。 そして2006年、大々的にリブランディングをすることが決まったとき、父に提案し、新社名に変わったのです。
◆「靴下の神様」はどんな思いだったのか
――2008年、「靴下の神様」と称された創業者で父親の越智直正氏から事業を引き継ぎ、2代目社長に就任したそうですね。 就任の少し前、父から「話がある」と喫茶店に呼ばれました。 そこで「お前、ワシの後の社長がやれるのか?」と問われたので、「やりますよ」と平然と答えたら、「だったらやってみろ!」と話が決まりました。 だいぶ端折ってはいますが、おおむねこれが真相です。 売り言葉に買い言葉のようなやり取りでした。 ――カリスマ経営者である先代から経営を引き継ぐ自信があったのですか? 自信の有無は関係ないです。 私が社長になろうとなるまいと、タビオという会社は隅から隅まで創業者・直正そのものであることに変わりない。 それは私が一番、分かっていました。 ただ、創業者の思いを達成するには、私が社長をしたほうがいいだろうなと思っただけです。 ――その理由は何でしょう? 上場してからの創業者の姿が、「らしくない」というか、辛そうに見えていました。 先代はよくも悪くも「昭和の経営者」らしい人で、もともと陽気で豪快な人でした。 ところが、上場後は、「上場企業の経営者らしさ」を演じなければならない部分もあったのか、ずいぶん変わってしまった印象があったのです。 特に、株主総会やIR分野を苦手にしていた面がありました。 「そういう苦手なところは私が引き受けますから、社長は会長になられたらどうですか」と勧めたわけです。 ――先代は、後継者としての力を認めていたのでしょうか。 それなら嬉しいですが、本音は「やれるもんならやってみい!」だったように思います。 あくまで私の推測ですが、当時、タビオがウィキペディアに載り、「先代が作った会社の危機を、息子が救って成長させた」といった趣旨のことが書かれました。 先代はそれを私が書いたと思い込み、腹を立てたんだと思います。 そこで私の腹を探るために、「お前、やれるのか!」と迫ったのだろうと。 私は、社長になりたいという気持ちはありませんでしたが、株主総会やIRを引き受ける以上、社長になるしかない。 その方が、先代が追い求めてきた会社に近づけると思い、「やれますよ」と答え、社長を引き受けたのです。
■プロフィール
タビオ株式会社 代表取締役社長 越智 勝寛 氏 1969年、大阪府出身。1994年から約3年間、化粧品会社ハウス オブ ローゼで主に販売員として働いた後、父親が創業者である靴下専門の会社、ダン(現タビオ)に入社。商品部に配属されるいなや、それまでになかったカラータイツを売り出し、大ヒット。2003年に商品本部長となった後、2005年から2006年の1年間、経営者研修に参加。2007年に取締役第一営業本部長を務めた後、2008年に父・直正氏から経営を引き継いで代表取締役社長に就任。
取材・文/大島七々三