ソ連に取り残された日本人「両親は帰国せず死んだ」 幸せ築いたウクライナで2度目の戦争、命がけの出国と決断 #戦争の記憶
過酷な幼少期を経ながらも、50年以上に渡って自身を育み、温かい家庭を築かせてくれた「第2の故郷」ウクライナへの感謝の念は尽きない。だからこそ、今も続くロシアの攻撃に胸を痛めている。 「家族が無事で生きていることを祈るしかありません。ジトーミルでは未だにミサイルが空を飛び、空襲警報が鳴るたびに避難しなければなりません。今やこの異常な光景が、日常となっています。子どもたちは落ち着いて夜も眠ることもできません。戦争を経験した子どもは私を含め一生忘れることはありません。1日も早く戦争が終わってほしいです」 永住帰国後にステージ3の肺がんが見つかった降籏さんは、現在も放射線と抗がん剤の併用治療を続けている。そんな降籏さんを先に帰国した4人の兄妹や支援者が、そっと寄り添い続けている。 2度の戦争に翻弄されながらも、自身の力で人生を切り拓いてきた降籏さん。戦争が終わり、2つの故郷を自由に行き来できる日がくることを、私は願ってやまない。 ※この記事は、TBSテレビとYahoo!ニュースによる共同連携企画です