ソ連に取り残された日本人「両親は帰国せず死んだ」 幸せ築いたウクライナで2度目の戦争、命がけの出国と決断 #戦争の記憶
しかし2019年にリュドミラさんが心筋梗塞で急逝し、21年には若年性アルツハイマーと診断され体調を崩していたビクトルさんも亡くなった。 悲しみの底に沈む降籏さんに、さらなる試練が襲い掛かった。22年2月24日にロシアがウクライナに侵攻したのである。 「家族を守れるのは自分しかいない」。心臓に持病を抱えていた降籏さんだが、孫娘ら3人を避難させるため、ウクライナを出国してポーランドに入国した。在ワルシャワ日本大使館で数日間にわたって交渉を続けてパスポートに代わる書類を取得。3月18日の直行便で日本に向かって飛び立った。
「両親の夢を叶えたい」 日本への永住帰国の決断
成田空港で降籏さんを待ち構えていたのは、サハリンから永住帰国している兄妹。兄の信捷さんと妹のレイ子さんは到着した降籏さんを抱きしめた。3人とも涙を浮かべていた。 当初、ウクライナに戻る予定だった降籏さんだが、貧しい子ども時代を支え合った兄妹に永住帰国を強く勧められると心が揺れた。彼らと過ごすうちに「両親が帰国できなかった無念を晴らしたい」という思いが日増しに強くなっていく。そして、降籏さんは永住帰国を決断した。 「私が日本に永住帰国すれば、子どもたちはみんな日本へ戻ったことになります。両親が果たせなかった夢を叶えることができるのです」 降籏さんは北海道旭川市にあるレイ子さんの家の近くの公営住宅で一人暮らしをしていて、2022年11月に日本国籍を取得した。一方、ともに避難した孫の妻インナさんは妊娠が判明し、出産のため娘のソフィアちゃんを連れてウクライナに帰国。また、大学生の孫娘のウラジスラワさんも、復学するためにウクライナに戻る選択をした。
「また来るからね」亡き妻との別れ ウクライナで妻子に祈り
降籏さんは2023年6月、妻と一人息子に別れを告げるため、ウクライナに向かった。車窓からの懐かしい街並みに目を細め、スマートフォンで何度も撮影する。爆撃された建物の瓦礫が目に入ると「心が痛む」と呟いた。
日本で永住帰国を決めた降籏さんには、ウクライナで心残りにしていることがあった。それは2021年に亡くなった一人息子のビクトルさんの墓石を注文することである。降籏さんはウクライナで所持していた車の売却金などを購入資金に充て、果たせなかった墓石の注文を終えることができた。 「いつも私を心配してくれる心の優しい息子でした。50歳で亡くなったことは本当に残念です」 そして、もう1つの心残りは妻リュドミラさんに別れを告げることだ。妻の肖像画が刻まれた墓石の横には、すでに降籏さんの肖像画入りの墓石がある。降籏さんは白い花を供え、祈りを捧げた。 「今回はちゃんと別れを告げ、私のことも心配しないように話しました。天国で安らかに眠るよう伝えることができたので、心が落ち着きました。『しばらく来られなくなるけど、また来るからね』とも」