「オシャレしてきてね」が唯一のルール? 若年女性がテニスコートから消えた令和の日本で、インフルエンサーが立ち上げた画期的な『テニス女子サークル』とは?
一度はテニスから逃げた
都内のインドアテニスコートで、若い女性たちの軽やかな笑い声と、心地よい打球音が響く。 ラケットを手に、スコート姿でコートを駆けるのは20~30代の女性たち。ボールを打つ合間に写真を撮り合う彼女たちのテニス歴は、「高校時代に団体戦で全国優勝した」という猛者から、「社会人になってから始めた」という人まで幅広い。ただ全員に共通するのは、「好きなウェアを着て、テニスを楽しくプレーしたい」という思い。 そして、同世代の女性たちと気兼ねなくテニスができる場を探していたところ、この『テニス女子サークル』にたどり着いたという経緯だ。 ――まずは宇野さんのテニスキャリアを教えてください 宇野(以下同) テニスを始めたのは、小学3年生の時です。大坂・四條畷(しじょうなわて)市のテニスクラブに、体験レッスンで行ったのがきっかけでした。その後、中学に上がるタイミングで鎌倉市に引っ越したんですが、市内には硬式テニス部がある中学校が無かったんですよ。 そこで学校に『硬式テニス部を作ってください』と頼み、部員は私だけで活動を開始。大会に出場するためのハンコをもらいに行くだけで中学では実質的な活動はしていませんでしたが、お陰で高校にはスポーツ推薦で進むことができ、その後のキャリアに繋がりました。 ――高校卒業後、プロに? 18歳で選手活動を始めましたが、20歳で辞めているので、活動期間としては一瞬でした。やっぱり、つらかったんです。当たり前ですが、大会で優勝するのは1人だけ。負けてばかりだし、いつも一人で転戦していたので、メンタル的に弱ってしまい。 遠征にはお金も掛かるので、親やスポンサーにも「負けてばかりで申し訳ありません」という気持ちになる。もう「自分には無理だ」と諦めてしまった感じでした。 ――引退後の活動は? テニスから「逃げた」という気持ちがあったので、すぐテニスに関わる気持ちにはなれず、一度環境を変えたくて地元の大阪に戻ったんです。親族が美容系学校の仕事をしていたこともあり、アロマセラピーやメディカルハーブなどを習い、資格を取りまくりました。 ただ、いざエステサロンに行って就職面接を受けているとき、「何か違う」と感じちゃったんですね。そこで改めて何がしたいか考えたときに「やっぱりテニスが好きだ」と気づいたんです。