ヤクルト”ライアン”小川の史上82人目ノーノー達成の裏に隠された「小さな奇跡」と「細心企業努力」
創価大時代に伝説のメジャーリーガー、ノーラン・ライアンの著書「ピッチャーズ・バイブル」に感銘を受け、171センチの小さな体ながら左足を大きく上げてボールに勢いをつけるライアン似のフォームに改造した。 その豪快なスタイルが評価されて2012年のドラフトで2位指名された。この年のドラフトは、大谷翔平、藤浪晋太郎、東浜巨らが揃っていた豊作年で、ヤクルトは1位に藤浪を指名したが、クジで外し、外れ1位に現在のストッパー、石山を指名、小川は2位指名だった。当時の監督は、現在編成の責任者の小川淳司氏で「小川」でかぶるため、自主トレ中に、自ら「ライアン」と呼んでくださいとメディアサービスで発言。そのライアン似のフォームと、実力、結果が重なったため「ライアン小川」の呼び名が定着した。ただ本家のライアンは、生涯7度のノーヒットノーランを記録しているが、小川は、ここまでプロで7年間、本家の名に重ねる大記録とは無縁だった。チームが最下位に沈み、小川監督が辞任に追い込まれた昨年は、小川も5勝12敗と不振だったが、今季は、復活の兆しを見せており、8年目にして、「ライアン小川」の呼び名にふさわしいノーノーの勲章を手にした。 「今日のピッチングをいいきっかけとしてチームも乗っていきたいと思いますし、強気で押すピッチングをどんどん見せていきたいと思います」 5勝目を挙げた小川はエースらしくそう発言した。ちなみにメモリアルのウイニングボールは、「ウイニングボールは人にあげていることの方が多いのですが、初めてのことなのでまずは自分で持っていたい」という。 真夏の終戦記念日…日本のプロ野球でのノーノー第1号は1936年9月25日に対阪神戦で達成した巨人の沢村栄治氏である。沢村氏が戦火に散った戦争の75回目の忘れてはならない日に大記録が生まれたのも何かの運命なのかもしれない。