瞬間最高視聴率は“驚異の55.9%” 中嶋聡オリックス前監督の大一番「小林の14球」を振り返る【日本シリーズ伝説の一戦】
野村監督のイチロー対策
2024年のプロ野球は、横浜DeNAベイスターズが26年ぶりの日本一、それもリーグ3位からの下剋上を成し遂げ、ファンを歓喜させた。 【写真特集】若き日のイチロー、日本シリーズを戦った野村・仰木両監督など…平成を彩った、「異色の野球人」たち
古くからのファンは1998年の日本シリーズを思い出したことだろう。まだ現役だった三浦大輔監督(50)も登板した26年前(当時は横浜ベイスターズ)、相手は、西武ライオンズ(当時)だった。第3戦からの西武のスタメン捕手は中嶋聡氏(55)。今年、オリックス監督を辞任した中嶋氏である。 中嶋氏はオリックスに在籍していた97年オフにFA宣言。強肩と強打で知られていた同氏は当時、「メジャーに最も近い捕手」と呼ばれており、96年5月にはエクスポズ(現ナショナルズ)が身分照会をするほどだった。97年オフにエンゼルスと話がまとまりかけたが、マイナー契約を提示されたことからメジャー入りを断念した。そして「正捕手」の座を約束した日本ハムを断り、西武へ。当時は伊東勤氏(62=後に監督)が正捕手を務めていたが、「日本一のチームで正捕手を目指す」と入団を決めた。 そして、98年の日本シリーズである。下馬評では西武と言われていたが、横浜の「マシンガン打線」と「ハマの大魔神」こと抑えの佐々木主浩氏(56)、そして盗塁をはじめとする横浜の「足」に西武は苦しめられ、4勝2敗で横浜が日本一に輝いた。 西武から横浜を経て、2015年に北海道日本ハムで引退した中嶋氏は、21年にオリックス監督に就任すると、1年目でチームにとって25年ぶりとなるリーグ優勝を成し遂げ、23年まで3連覇を達成した。21年と翌年にヤクルト・スワローズと戦った日本シリーズは、好ゲームの接戦となり「令和の名勝負」として知られる(21年はヤクルト、翌年はオリックスが日本一)。 「中嶋氏と日本シリーズ」そして「名勝負」といえば、忘れてはならないのが「1995年の日本シリーズ」だろう。当時はオリックス捕手だった中嶋氏が、ヤクルト・スワローズと対戦。ヤクルトの守護神は、高津臣吾監督(55)だった。このシリーズは、4勝1敗でヤクルトが日本一となったが、忘れられないのはその第4戦(10月25日、神宮)。 双方のファンによって「小林の14球」、あるいは「オマリーの14球」と呼ばれる名勝負である。 シリーズのあった95年は1月に阪神大震災が起こり、神戸を地元とするオリックスは悲願のリーグ優勝を果たし、日本一を目指していた。特に注目されていたのは、前年シリーズから頭角を現していたイチロー氏(51)の活躍だった。 〈「オリックスはイチローだけのチーム」。少し大袈裟な表現かも知れないが、戦前、スコアラーによる調査を頼むと、そんな分析が上がって来た。となれば、こちらはイチローを抑えれば勝てるということになる。ところが、スコアラーたちは、一様に口を揃えて言うのである。「イチローには、弱点がありません」〉(野村克也著『野村克也の「人を動かす言葉」』新潮社刊より) ヤクルトを率いた名将・野村克也氏は困り果て、一計を案じた。 〈結局、実際の手立てとしては有効なものがないと感じた私は、一計を案じ、選手、コーチ陣に告げた。「テレビや新聞で、俺は嘘をついてくるから、諸君らもそのつもりで」〉(同)