野村克也が巨人・原辰徳をみて「采配がわからない」とボヤいていた“納得のワケ”
二死一塁からあえて盗塁をさせる原監督の真意とは
そうしたなか、野村さんは原監督の采配については、「わからないことが多々ある」と ボヤいていた。 「データを重要視しているとは思わないし、カンだけでやっているんじゃいかと思うこともある」 そんな話をしたこともあった。それを象徴する出来事が、今から16年前の2008年5月29日の東京ドームでの楽天戦。4対2で楽天がリードしたまま9回裏二死一塁という場面で、走者の矢野謙次(現・巨人一軍打撃コーチ)が盗塁を試みたものの、二塁で刺されて試合終了になったことがあった。 この試合後の監督会見で、野村さんは「バッカじゃなかろか~ルンバ」と鼻歌を歌いながらから、会見場に現れてこんな発言をした。 「巨人は面白い野球をするね。野球は意外性のスポーツだな」 「(一塁走者の矢野は)勝手に行ったんじゃないの? 普通はあそこでは行かないよ」 と皮肉交じりに話していたが、走者が走ってアウトになれば試合終了というこの場面、巨人にしてみれば2点のビハインドもあるので、楽天バッテリーとすれば、「盗塁のサインはないだろう」と考えていた。 だが、セオリーに反してギャンブル的な盗塁を敢行した。これは原監督から矢野にサインが出ていたからである。 なぜ、このような作戦を仕掛けることができるのか。話は今から50年前、1974年の夏の甲子園までさかのぼる。当時の原さんは、東海大相模高の三塁手としてレギュラーで出場していた。このときの初戦の相手は阪神に入団した工藤一彦さん擁する土浦日大だった。 試合は1対2で東海大相模がリードされたまま、9回裏二死一塁という場面になったとき、父親である原貢監督から一塁走者に「走れ」のサインが出た。負けたら終わりという切羽詰まった状況での盗塁のサインに、選手全員が驚いてしまった。 だが、一塁走者はそんなプレッシャーに臆せず、果敢に二塁を陥れる。続く打者がセンター前にタイムリー安打を放って同点となった。そうして試合は延長戦にもつれ込み、東海大相模が16回裏に見事サヨナラ勝ちを収めたのである。 このとき原監督は、試合に勝ったこと以上に、盗塁という作戦の威力を知ったことが大きかったと話していたそうだ。原監督にしてみれば、楽天戦での矢野の盗塁失敗は、「これも作戦の一つで、結果的に失敗しただけのこと」と割り切って考えていたはずだ。 【後編】『野村克也を思わずうならせた、原監督の「天性の勝負勘」…二人の決定的な「才能の違い」』では、野村克也と原辰徳が監督としてどのように違うのか、引き続き解説していく。
橋上 秀樹