戦後の大衆を巻き込んだ空前の“株ブーム”に冷や水 「スターリン暴落」を予測した“伝説の相場師”が明かす「読者よ、退却の時機は近づいた」の舞台裏【昭和の暴落と恐慌】
石井さんも勇気がありましたね
このスターリン暴落で、兜町は大混乱となり、証券会社の倒産も相次いだ。土屋陽三郎氏の見聞。 「損害を受けたのは小さな証券会社だった。当時の証券会社は免許制ではなかったから小さな株屋が一杯いた。特にその中でも、発行株、俗にヘタ株といわれているものですが、それを握っていたところが潰れていきました。当時の株主は個人投資家が中心で、90%を超えるときもありました。証券民主化で解体された財閥の株を、個人が持つようになっていたのです」(土屋氏) 再び石井氏評。 「石井さんも勇気がありましたねえ。皆が強気でいる時に、あの記事を書いたのですから、私は既に株屋の世界にいましたので、私自身も『そろそろ天井かな』と思っていても、口に出してはいえない。だからあの記事が出た時、私は共鳴したものですよ、内心。その後、石井さんは立花証券に行きましたが、危ない時は危ないというんで、信者というか立花証券の投資家は増えていったわけで、経営不振に陥っていたあの会社を立ち直らせたうえ、大きくしたのだから、石井さんの分析は信頼され続けたということでしょう」(土屋氏) *** 第1回【「とうとう銀行が破綻しました」蔵相の失言が取り付け騒ぎの引き金に…それでも当の銀行幹部が「笑みを浮かべた」は本当か】では、震災恐慌の影響が続いた1927(昭和2)年に起こった昭和金融恐慌について。渡辺銀行の幹部が蔵相の失言に「笑みを浮かべた」とする通説に対し、渡辺家は昭和の終わりに静かな反論を試みていた――。 デイリー新潮編集部
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