戦後の大衆を巻き込んだ空前の“株ブーム”に冷や水 「スターリン暴落」を予測した“伝説の相場師”が明かす「読者よ、退却の時機は近づいた」の舞台裏【昭和の暴落と恐慌】
従来の買一辺倒は不可との結論に達した
石井氏が株式新聞のトップに「桐一葉……」というタイトルで“総退却”の記事を書いたのは、その翌日の2月11日。 〈読者よ、2年有半に亘っての進軍一路から退却の時機は近づいた。1ドル相場必ず出現と怒号したのが昨春……今後の進展や如何に、或は筆者の見解や如何に、と御期待の読者に対して……あらゆる事象を再検討し研究し、分析した結果、残念ながら従来の買一辺倒は不可との結論に達したとの報告をせざるを得ない〉 『わが闘争』という自著の中で、この記事の反響について次のように書いている。 〈結果は大変な暴落を呼び、大変な非難を受けた。一人の力で相場が動くものではあり得ないのに、空売りをしてそのために書いたとまで非難された。大変な金持になれる好機を敢て自粛し、読者のために、投資家のためにと考えての一文が逆に取られて残念だった。相場研究家として忠実に目に映じ、頭に浮んだ結論を発表しただけなのに、冷い世間に涙を呑んだ。儲けるなら数億のチャンスがあったのに、犠牲にした私の心を知らないで騒ぐ世間に嫌気がした〉 が、この石井氏の“予言”は的中した。3月5日にスターリン重体のニュースが伝えられると、投物が殺到。暴落に次ぐ暴落となった。
スターリンの死はおまけに過ぎない
石井氏が当時を語る。 「昭和28年の1月、ニューヨーク・タイムズの記者に、スターリンが米ソの友好を述べたメッセージを寄せた。これを聞いて私は、朝鮮戦争の休戦調停が成立し、日本の景気も一段落するだろう、そうすれば株価も下る、と読んだ。それ以上に、株価は既に実態価値を超え、需給の均衡点、468円に近づいている。その需給の均衡点を超えたら株は下る、と思っていた。その年の2月4日、株は474円をつけ、私の考えていた均衡点を突破したのです。そこで、この時点で例の『桐一葉……』の記事を書いたのです。2月4日から4月1日までのわずか2カ月の間に、ダウ平均は37.8%も下ったのです」(石井氏) そして、 「何も、スターリンの死や、それによる暴落を予言したのではないのです。スターリンの死はおまけに過ぎないのです」(石井氏)