巨人を、プロ野球を愛した〝独裁者〟 誤算だった球界再編問題 渡辺恒雄氏
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日、肺炎のため98歳で死去した。四半世紀前にプロ野球巨人担当をしていたころ、チームの負けが込んでくると、当時オーナーだった渡辺氏の自宅や食事をしているホテルを探し当て〝夜回り〟するのがルーチンだった。 【写真】渡辺恒雄氏と長嶋茂雄氏、原辰徳氏 「君たち、どうしたんだね」。待っていると、ほろ酔い機嫌のオーナーが出てくる。自身が読売新聞の政治部記者だったから、こちらの意図はお見通しだ。ズバリと答えてもらえない。が、ヒントはいただける。助かったことは数知れない。 ときには辛辣(しんらつ)な言葉もあった。2000年ごろ、不振だった清原和博選手が故障で戦列を離れざるを得なくなったときも「これで勝つ要因が増えたな」と言い放ったこともある。新聞の見出しを考え、あえて、〝悪者〟を買ってくれた面もあるのではないか。 背景には巨人への「愛」があったのは間違いない。東京ドームには頻繁に足を運んだ。勝てば上機嫌で、負ければ不機嫌。分かりやすい。いくらカネを注ぎ込んでも球団を強くしようという意欲にあふれていた。球界の最高議決機関である12球団のオーナー会議に顔を出さないオーナーも多い中、渡辺氏は毎回、欠かさずに出席、積極的に発言も行った。 巨人の監督交代に際しても「読売グループ内の人事異動だ」と言い放つほど、球界内で絶大だった権力を振るった渡辺氏。誤算だったのが、04年の球界再編問題だろう。 近鉄とオリックスの合併をきっかけに、セ、パに分立していた2リーグ制から、他球団のオーナーとともに強引に10球団による1リーグ制を実現しようと画策した。ところが、労働組合・プロ野球選手会がこれに反対。選手会に対しても「無礼な」と聞く耳を持たなかったとされる。 そのころ、ドラフト候補選手への裏金事件が発覚。巨人も複数回、〝小遣い〟を渡していたとして責任を取る形で、渡辺氏がオーナー職を辞任した。 渡辺氏が球界の表舞台から去り、選手会側はストライキを強行、これを世論を支持した。渡辺氏らは1リーグ制を断念せざるを得なかった。もはや、プロ野球はオーナーのものだけではなくなっていた。渡辺氏はその風を読み違えていた。