地下鉄サリン、警察庁長官銃撃…事件取材にあけくれた64歳の"セカンドライフ"は保育士か、幼稚園教諭か
■はないちもんめでは「緒方さんがほしい!」 退職後、確かに環境や生活リズムは変わった。一般的にはそれをセカンドライフと呼ぶのかもしれないが、緒方さんは「自分自身の心境には何の変化もない」と語る。 軸になっているのは今も、子どもを守りたいという強い思いと、どんな相手とも理解し合える関係性をつくろうとする姿勢だ。 保育学科という、年齢も育ってきた環境もまったく異なる人たちの集団に飛び込んだとき、まず心がけたのは「互いに理解し合える関係になろう」ということだった。その姿勢はやがて相手にも伝播し、同級生たちとの仲は日に日に深まった。 たとえば、幼児体育の授業で「はないちもんめ」に取り組んだときのこと。2チームに分かれて、歌を歌いながら仲間にほしい人を取り合う遊びだが、誰も自分をほしがらないだろうと思っていたら、相手チームの女子学生たちが声を揃えて「緒方さんがほしい!」と言ってくれた。 人気アイドルグループ「SixTONES」のことを「しっくす とーんず」と読んだときは、同グループを推す女子学生から「ストーンズって読むんですよ」と笑顔で、かつキッチリと指摘された。 学生からプライベートな相談ごとを持ちかけられたこともあれば、将来は一緒に仕事をしたいと言ってもらえたこともある。 こうしたエピソードから伺えるのは、構えることなくやりとりできる気安い関係性だ。同級生たちが心を開いてくれたのは、この人は一生懸命自分たちを理解しようとしてくれていると感じたからこそだろう。
■新聞記者時代も今も変わらない 「先入観にとらわれず、精一杯の配慮と支援を心がけて、自分は何者でもないんだという姿勢で関係を築こうと努める。そうすれば理解し合えるんだなと実感しました。結局、社会って、さまざまなことが異なる人と人がいろんな関係を紡ぎ上げることでつくられるものなんだなとも思いましたね」 その点は、記者でもセカンドライフに入った人でも同じだろうという。記者には、取材相手が誰であれ、その生い立ちや考え方への理解を深め、心を開いて話してもらえるよう働きかける姿勢が欠かせない。セカンドライフに入った人も、新たな環境で周囲との関係をいかに築き深めるかが肝要なのではないか――。 「偉そうなことを言いましたが、やっぱりそこが大事かなと思います。現に私のような野良犬がですね、保育学科で45歳も年下の同級生の皆さんに助けてもらえるようになって、無事に卒業できたわけですから」 ■原動力は「怒り」 現在気になっているテーマは、親子の無理心中や内密出産、発達障害と診断された子への保育・教育、保育士や教員による性加害。子どもを取り巻く法や支援のあり方とともに、子育て世代に対する福祉の不十分さについても取材・発信していくつもりだという。 原動力は怒りだ。 1995年ごろには、学校で授業についていけず、教師や親から無視されて犯罪に関わるようになった「非行少年」たちを取材した。犯罪に関わって矯正施設から戻っても、行くところがない。居場所を求め、暴力団員に提供されたアパートに集うようになった子どもたちも少なくなかった。 同じころ、難病で学校に通えない14歳の子どもについても記事にした。この子は週に数回、「訪問教育」という制度で自宅に来る教員とのふれあいを楽しみにしていたが、当時の制度では高校生の年齢になると、訪問教育を受けられなくなる。制度にこだわり延長を渋る役所をしつこく取材。その後、訪問期間の延長が認められた。 本来なら国が率先して子どもや親を守るべきなのに、そのための制度や仕組みはいまだに穴だらけで、予算も人手も十分に確保できていない。さまざまな不備を厳しく指摘した後、「本当に許せないし、腹が立っています」と語気を強めた。 志を持って自分の道を歩み続ける緒方さん。悠々自適の生活に興味はない。知識も経験も人脈も、記者時代と短大時代を通して培ったすべてを注ぎ込んで、子どもを守りたいという思いの実現を目指していく。 ---------- 辻村 洋子(つじむら・ようこ) フリーランスライター 岡山大学法学部卒業。証券システム会社のプログラマーを経てライターにジョブチェンジ。複数の制作会社に計20年勤めたのちフリーランスに。各界のビジネスマンやビジネスウーマン、専門家のインタビュー記事を多数担当。趣味は音楽制作、レコード収集。 ----------
フリーランスライター 辻村 洋子