PGAツアーマーケティング&コミュニケーションディレクターのコーリー・ヨシムラ「“好き”を仕事に」
日本が楽しくてたまらなかった
流ちょうで知的な日本語を操る彼の日本語勉強歴はこの時から。 「最初に住んだのは岐阜県の高山。その後は群馬や埼玉など関東のいろんなところに住みましたね」 ホームシックにはならなかったという。理由は「楽しかったので」。アメリカと日本の違いに気付くと、楽しくてたまらない気分になった。 「例えば日本の飲み物の小ささ(笑)。『ウェンディーズ』のシェイクが好物だったんですが、日本のお店でレギュラーサイズを頼んだら、アメリカだとキッズサイズぐらいのカップで出されて『えっ!?』となりました。似たようなことで『面白いな』と感じたのがドリンクのボトル。大きなペットボトルと小さなペットボトルの飲み物が売っていて、小さいほうが割高なんですが、日本人は平気で小さいほうを買う。それは“もったいない”という感覚があるからだと思うんです。大きいほうを買って飲み切れなかったときに捨てるのが申し訳ないという感覚。あれは、日本人ならではというか、すごいなと感じました」 子どもの頃から興味津々だった日本で、約2年、驚きや喜びにあふれた生活を送り、コーリー青年はアメリカに帰国。大学に戻ると、また出会いが。 「今の妻と知り合い、22歳のときに結婚しました。妻は日本人で、日本の看護師の資格を持ち、アメリカには英語を学びに来ていたんです。図書館で出会いました」
卒業後は広告代理店に職を得て、夫婦でニューヨーク暮らし。「最初はコピーライターをしていましたが、その後、クリエイティブ部門とクライアントをつなぐマネジメントの仕事もするようになりました」。 “つなぐ仕事”は、今も同じだ。 PHOTO/Akira Kato ※週刊ゴルフダイジェスト12月10日号「私の履歴書 コーリー・ヨシムラ」より一部抜粋
週刊ゴルフダイジェスト
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