「打てなかったら中国に帰れ」から30余年――女子ソフト・宇津木麗華が貫く指導の流儀
「中国」と「日本」の違い
宇津木HCが中国・北京出身なのは広く知られている。25歳だった1988年、当時日立高崎の監督を務めていた宇津木妙子さん(世界野球ソフトボール連盟理事)の誘いを受け、初来日。95年に日本国籍を取得して宇津木姓を名乗り、00年シドニー・04年アテネ両五輪に選手として出場した。その後、指導者に転身し、11年から15年まで日本代表HCを務める。それから1年の空白を経て、2度目の日本代表指揮官となった。 「指導者や選手がお互いに尊敬し合い、プラス思考になれる環境作りをしていくべきだというのは、自分が教える側になって肝に銘じたこと。多少のマイナス面があっても、みんなでカバーし合って、チームプレーを出していくことの重要性は妙子さんも強調していました。つらい練習や試合の時、私は逃げる傾向があったんですけど、彼女はより一生懸命に全力投球で取り組んでいた。やっぱりそういう姿勢を示すことが上に立つ者として大切なんだと感じながら、今もやっています」
社会主義国の中国では全体主義的な厳しい練習が行われているのかと思いきや、むしろ日本の方が上命下達の傾向が鮮明だったという。 「中国のスポーツ現場は技術指導や講義、人間教育が多いんです。私自身は両親から殴られたこともなければ、監督から怒られたことも全くない。『ああしろこうしろ』と命じられたこともありません。キャッチボール1つ取っても『ボールはこう取った方がいいね』『こう投げた方がスムーズだよ』とアドバイスされる感じ。すごく楽しかったです」それが日本に来た途端、監督に怒鳴られたり、殴られたりする日常を目の当たりにした。「正直、すごく驚きましたね。『打てなかったら中国に帰れ』とヤジを飛ばされたこともありました。今となれば、その人を探したいくらいですけどね(苦笑)。そういう指導法は廃れ、罵られることもなくなりましたけど、私が来日した35年前はごく普通でしたね」 古い時代の日本のやり方を身をもって体験しているからこそ、『心技体の伴った指導』の重要性を痛感している。 「私も日本に来て長いですから、日本人がノーと言えない国民性なのはよく理解しています。監督である自分が『今は送りバントするよ』と指示したら、みんな黙って『はい』と言いますよね。でも私が選手だった時は『どうしてバントなんですか?』と妙子さんによく聞いていました。納得いかないとプレーできないから、必ず『説明してください』と言っていました。それは欧米も同じ。礼儀正しさは美徳ですけど、もっと自分があっていい。そういう中で、人まねではなく、日本に合ったソフトボールをやっていくこと。それが大事だと思います」 彼女は1つ1つのプレーや判断を懇切丁寧に説明する。プレーをストップしてのコーチングや、長時間ミーティングも頻繁だ。コロナ禍の今は対面で長く話をするのが憚られるため、11月の横浜・高崎合宿からは選手全員にタブレット端末を配布。オンラインミーティングや、撮り貯めた映像なども活用し始めた。こうしたチャレンジには「十分に理解したうえで、自分の判断でプレーしてほしい」という強い願いが込められている。「縁あって集まった集団」だからこそ、持てる力の全てを出し切り、完全燃焼してほしいのだ。