「打てなかったら中国に帰れ」から30余年――女子ソフト・宇津木麗華が貫く指導の流儀
東京五輪で13年ぶりに正式種目に復帰するソフトボール。チームの指揮を執る宇津木麗華ヘッドコーチは中国で生を受け、人生の半分以上を日本で過ごしてきた。両国のアイデンティティを備える彼女は女性指導者としてどのように選手と向き合ってきたのか。(取材・文:元川悦子/撮影:殿村誠士/協力:Kick&Rush/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「一瞬で全てなくした気分だった」
「みんなの元気な顔を見て、監督としての幸せを感じました。『来てくれてありがとう』と言いたかったですね」 新型コロナウイルスの影響で東京五輪が1年延期になってから8カ月。ソフトボール女子日本代表は11月16日からようやく横浜で再始動し、宇津木麗華ヘッドコーチ(HC)は安堵感をにじませた。
2月のグアム合宿を最後に代表活動から遠ざかり、3月末に東京五輪延期が決定した瞬間には、とてつもなく大きな喪失感に襲われた宇津木HC。緊急事態宣言が発令された4月は気管支喘息を患ったこともあり、地元・群馬の自宅にひきこもりがちになった。 エース・上野由岐子(ビックカメラ高崎)が「一番精神的にダメージを受けていたのは麗華監督だと思います」と胸中を慮るほど、普段のエネルギッシュな指揮官とは程遠い精神状態。「正直に言うと、4年間準備してきたものを一瞬で全てなくした気分だった」と指揮官は偽らざる本音を吐露する。 それでも、旧所属先のビックカメラ高崎の要請を受け、5月から日本代表を中心とした選手の指導に通い始めた。そこでハツラツとプレーする若者たちの姿を目の当たりにし、彼女は徐々に気力を取り戻していく。そして6月からは五輪対戦相手のビデオ分析に着手。7月には新ユニフォーム発表会見に出席し、9月に入ると日本リーグの視察に赴くなど、精力的に動き始めた。その間、読書好きの宇津木HCはプラスになりそうな本を探し、曽野綾子の「人間の分際」を読み、違う道を探して勝たないといけないと気持ちを奮い立たせた。持ち前の逞しさと意志の強さ、女性らしい繊細さと気丈さに柔軟性と知性をプラスし、さらにグレードアップした姿で、指揮官は再び日本代表の場に戻ってきた。