“昭和99年”語り継ぐ「戦争は絶対したらいかん」神戸に今も残る『防空壕』 空襲におびえた当時小学生は現在85歳 あの時の記憶を語る
窪井さんが指さした引き戸の敷居には、はっきりとその傷が残っていました。 奇跡的に全焼は免れましたが、今も残る傷痕が当時の衝撃を物語っています。 窪井さんは、神戸の街を焼いた焼夷弾の残骸を拾っていました。
【窪井靖男さん】「これが焼夷弾の1発なんです。これが弾頭で、実物なんです」 【吉原功兼キャスター】「これが空から降ってきた?」 【窪井靖男さん】「そうです。(弾頭を)持ってみてください」 【吉原功兼キャスター】「重いですね」 焼夷弾の一部、弾頭だけでも重みがあります。 【窪井靖男さん】「これが8000メートル上から落ちてくるんです」
【窪井靖男さん】「この(焼夷弾の)中に油脂が入っています。マヨネーズみたいな油が入っていて、爆発と同時に油が飛び散るんです、火のついた油が。それで家を焼くという爆弾」 【吉原功兼キャスター】「これ(焼夷弾)がいくつもついている?」 【窪井靖男さん】「100発くらい入っています」 【吉原功兼キャスター】「どういう音でした?」 【窪井靖男さん】「ザーって、簁(とおし)の上で豆を転がしたような音です。空気を破って落ちてくる音なんです」
■空襲警報で授業が中止に…急いで帰宅した小学生時代
神戸大空襲の当時、7歳だった窪井さん。 空襲警報が鳴るたびに、地下の防空壕に避難していた記憶が鮮明に残っています。 【吉原功兼キャスター】「この(防空壕の)中に何人くらい(入る)?」 【窪井靖男さん】「24、25人くらい」 【吉原功兼キャスター】「地域の方たちが集まって?」 【窪井靖男さん】「そうです。入れるだけ入って、覆いかぶさるようになって。私は子どもだから下敷きになって、『うう』って言っていました」 【吉原功兼キャスター】「決して広くはないですね。この中に20人ですか…。息苦しさもありました?」 【窪井靖男さん】「そうですね、夏の暑い時ですから」 【吉原功兼キャスター】「電気を切ったらどんな感じになるんですか?」 実際に照明を消してもらうと、中は真っ暗に。 【窪井靖男さん】「(照明を)切ったらこんなんです。いつも暗がりの状態です。ろうそくつけて」 「夜の空襲警報は特に怖かったです」 4畳半ほどの防空壕に、20人以上…。昼夜問わず、命を守るために必死だったのです。