運動会、お遊戯会は地獄でした…同級生から「吊し上げ」にされた、発達障害の息子への「母の悩み」
「言葉が遅いわね」と言われ知った息子の発達障害
近年は発達障害への社会的な理解が開かれ、企業もその特性に伴った対策が講じられるなったものの、ほんの数年前までは、その個性も「空気が読めない人」や「面倒なタイプ」と一刀両断に見られることも多かった。 【マンガ】息子の暴力が止まらない…発達障害と向き合う「母の悩み」 就学した学校の中で浮いてしまったり、就職しても周りの理解が足らずに、職に馴染めず転々とせざるを得ない状況が続いた当事者や現在でも深く悩み続けている方もいると聞く。 コミュニケーションが苦手、共感力に乏しい、感覚が鋭すぎるなどの特質した個性は日本の「一律を求める」集団の中では確かに厄介に見える。裏を返せば、その特質した個性をどう活かせばいいのか、わからないというのが大半の本音だろう。 その受け皿の浅さにより、いじめに遭ったり、友達ができないなどの問題が発生するが、当事者にとってみれば、問題の原因が自分のどこにあるのかが自覚できずに、自責する日々に「生きづらさ」を抱えてしまう。 自閉症や知的障がいなどのはっきり分かる特徴が出た場合は別として、親も我が子のどこが発達障害に該当するのか、幼少期ではわからない場合が多い。言うことを素直に聞き入れるおとなしい性格や、読み書きは普通に、またはそれ以上に「出来が良い」のに、なぜか発達障害と言われてしまう。 今回のマスミさん(60代)の話は、そんな親の困惑がその後の子どもにどういった影響をもたらしたのかが分かる、良い例なのかもしれない。 埼玉県のマスミさんは、夫と発達障害の息子と三人暮らす専業主婦だ。現在30代になった息子の子育てにはこれまで様々な苦労があり、白髪の髪を一つにたばねながら、当時をこう振り返る。 「息子は幼少期は大人しくて手のかからないいい子でした。親孝行な子だと思っていたのですが、周囲から『言葉が遅いわね』と指摘されることが増え、幼稚園側からも発育の遅れを心配されたんです。大げさだと思ったのですが、通いやすい場所にあったこともあり療育支援を受けることにしました」 当時受けた療育は、先生の言葉をマネするなどの発語の訓練、積み木やパズルなどを使った知育の訓練が中心だった。週1回1時間、暗い狭い部屋で行われる療育支援にマスミさんは疑問を持っていたという。 「言葉の練習は意味があると思いましたが、積み木やパズルを使った訓練は正直意味がないと思ってしまいました。息子はスラスラと解いていくんですもん。療育に行くために幼稚園を早退するときは『今日は療育ですね』なんて声はかけられるし、正直気分のいいものではありませんでした」 年少、年中、年長と年を重ねていくごとにマスミさんの息子は集団行動に馴染めなくなっていってしまう。 「運動会、お遊戯会は地獄でした。息子は泣いて逃げるので中断してしまう。周囲からの冷ややかな視線……その場から逃げたくなりました。時には噂をしているであろう保護者を睨みつけたこともあります。 息子は友達を作ることに積極的でなく、一人で迷路を作ったり、ブロック遊びばかり。クラスメイトは話しかけてくれていたようですが、反応が薄い息子に困っており、しだいと声をかけられることはなくなってしまいました。 子供同士のコミュニケーションがないので私も孤立気味……。特に親子遠足は辛い思い出しかありません」